Jared A. Goldstein著「Real Americans: National Identity, Violence, and the Constitution」

Real Americans

Jared A. Goldstein著「Real Americans: National Identity, Violence, and the Constitution

民族でも言語でも宗教でもなく「憲法」を国のアイデンティティの中心に据える米国憲法ナショナリズムの歴史についての本。「民族でも言語でも宗教でもなく」と言っても、実際のところは「憲法が対象とするアメリカ人とは誰か」「憲法を擁護する資格と能力があるのは誰か」というかたちで人種や宗教その他の要素を理由とした排除の論理が長らく正当化されてきたのだが、それらが「憲法を守るため」というお題目に繋げられてきたことがアメリカに特徴的。KKKの白人至上主義も、Know Nothing Partyのカトリック移民排斥も、より近年のムスリム排斥やオバマ大統領への人種差別的な攻撃などその他さまざまなヘイト運動も、米国憲法を守るために憲法を理解しようとしない人種や宗教の人たちの権利を制限すべきだ、という論理によって正当化された。80年代からはじまる宗教右派運動や9/11同時多発テロ以降の反ムスリム・反移民の風潮、ミリシア運動、ティーパーティ運動などにもそれは受け継がれている。

そうした差別的な憲法擁護論に対抗して、人種や宗教に関係なく全てのアメリカ人は憲法的価値観を平等に共有できる、という論理は、第二次世界大戦が始まりナチスの論理との差別化を図るために生まれたもの。キング牧師ら公民権運動の担い手たちは自分たちの運動は「憲法によって約束された権利を実現させる」ものだと規定したし、ルーズヴェルト政権からオバマ政権まで歴代の政権の多くはただ単にそういう憲法観を主張するだけでなく、「アメリカ憲法は常にそのような理想を掲げていた」という、歴史的事実に乏しいけれども魅力的なストーリーを押し出してきた。

「オバマは違憲だ」(オバマはアメリカ生まれではなく、従って憲法上大統領になる資格がない、という陰謀論)というスローガンが人気を博したティーパーティ運動の影響を受けた2012年の大統領選挙では多くの共和党大統領候補が「憲法を守るためにオバマの再選を阻止しろ」と主張したが、その後ティーパーティ運動は勢いを失い、2016年の選挙においては共和党候補となったトランプはほとんど憲法に言及していない(むしろムスリム移民の全面禁止などを主張して、保守派にすら憲法を分かっていないと批判されていた)、と著者は指摘する。そのかわりにトランプが頻繁に口にしたのは「強いアメリカ」の再現で、それには黒人(で陰謀論によるとケニア生まれのムスリムで共産主義者)でありアメリカ憲法秩序の外側の存在だと決めつけられやすいオバマに代わって女性のヒラリー・クリントンが大統領候補となったことで、彼女の「弱さ」を叩くほうが有効になったからだという解釈もあり得るが、バイデンを相手にした2020年の選挙でもトランプは憲法に言及しなかった。かれが頻繁に「憲法を守れ」と言い出したのは、選挙結果が出たあと、それを覆そうとする中においてだった。

憲法的な価値観を尊重できるのは特定の人種や宗教の人たちだけだからそれ以外の人たちの権利は制限されるべきだ、という主張が受け入れられないのは当然のことだが、「憲法的価値観は誰にでも開かれている」というバージョンの憲法ナショナリズムもまったく危険がないとは言えない。めんどうなことにアメリカ憲法には市民の武装権を認めた修正2条があり、ここ数十年においてそれは憲法を尊重しない政府に対抗するための権利が含まれる、という解釈が広まってしまっている。オクラホマシティ連邦政府ビル爆破をはじめ、多くのミリシア関連の事件はその解釈を元にしているし、トランプが「強い行動」を呼びかけたことに応じた市民が連邦議事堂を暴力的に一時占拠した2021年1月の事件も記憶に新しい。憲法ナショナリズムの歴史をコンパクトにまとめたタイムリーな本だった。