Charlotte Shane著「An Honest Woman: A Memoir of Love and Sex Work」
高級エスコートとして働いているセックスワーカーが、最も太い常連客となった男性との愛情ではないけれど長く親密な関係を軸として、性的に求められることへの欲望や家族や恋人との関係などを振り返る自叙伝。
序盤に出てくる話だけれど、男性はある意味セックスワーカーをよく理解し、リスペクトしている、という著者の意見がおもしろい。セックスにしろ金にしろ、自分の欲求に正直で欲しいものを得るために手段を選ばないという点でセックスワーカーは男性にとって理解しやすい相手であり、だから「もし自分が女性だったらセックスワーカーになっている」という想像はできても、周囲の人たちへのケアを優先して自分を押し殺す生活を期待されている普通の主婦になることは男性たちには想像し難い。もちろんセックスワーカーも客の男性をケアするために相手に求められる自分を演出している点は主婦と同じだが、セックスワーカーの多くはそれに自覚的・戦略的だ。
当たり前に良い客もいればクソ客もいて、中には危険な超絶クソ客もいるわけだけど、一番の常連客となった人はかなりのお金持ちで長期間にわたって著者と頻繁に会うことに。いちいち支払いするのが面倒だから勝手に銀行から引き出してよ、とデビットカードを渡され、著者も一緒に旅行するためのチケットを取るために本名を明かすなど、信頼関係で結ばれる。しかし男性の健康に不安がもちあがり、著者の再三の勧めで検査を受けたところ死期が近いことが分かる。かれが妻の介護を受けるようになったかれは著者と会うことが難しくなり、かれが亡くなったことを知ったのもしばらくたってから。お金を介した関係とはいえそれだけではなかったのも確かで、かれの最期に関われなかったことが悲しい。と同時に、彼女の存在を知らなかった(と思われる)妻がもし彼女のことを知ったら、どれだけショックを受けたか。かれの裏切り行為はかれ自身の責任だとはいえ、それに自分が加担し利益を得ていたのも事実。
女性が性的対象として男性の性的な視線に晒され価値を見定められる社会で、もともと自分の性的魅力に自信を持てなかった著者がセックスワークを選び、必ずしも美しいだけの女性が成功するわけではないことに気づいたり、他人との比較に耐えられないと感じたりするなか、自分なりのやり方を見つけていくあたり、わたしの周囲の高級エスコートをやっている人たちと通ずるリアルを感じた。あと、一箇所だけヴァレリー・ソラナスの「SCUM Manifesto」からの引用があってアガった。