
Charles Murray著「Taking Religion Seriously」
人種と知能指数(IQ)の関連や知能指数の影響力、福祉制度の弊害などについての学説が人種主義的だと批判されてきた政治学者チャールズ・マレーが、どうしてキリスト教を信じるようになったか語る本。これまでの著書は一線の研究者として自分が専門とする分野について自信を持って書いてきたが、本書は自分の専門分野ではなくさまざまな文献から学んで個人的にどう考えるようになったか綴ったものだと言う。いやいやこれまでの著書(たとえば2021年の「Facing Reality: Two Truths about Race in America」)のほうがよっぽどデタラメだけどね!
もともと信仰を持たなかったり宗教に興味がなかった人がなんらかの個人的な経験を経て信仰に目覚める、というのはよくある話なんだけど、本書には呆れるほどそういう内容がない。著者が神の存在を信じるに至ったのは物理法則や人類文明のありえなさなどが理由であり、それらの偉大さや荘厳さに圧倒されたというわけでもなく、普通に理屈として「これは神がいないと説明がつかない」と思っただけ。そしてその神が約2000年前に人間として生き、死から復活したイエスだというのも聖書に描かれたイエスのさまざまな奇跡や復活が事実だという(主流の学説を否定し福音書が書かれた時期を定説からずらすなど無茶苦茶な論理を展開したうえで)根拠を挙げているだけ。イエスあるいはイエスに対する信仰が著者自身の人生をどう救ってくれたか、という実存的な話は一切出てこない。
このように一般的な「信仰に目覚めた著者による本」のセオリーを外しまくっている本書は、神の存在(宇宙の存在や自然法則がなんらかの意志に基づいているという主張)について論じた前半はともかく、イエスが起こしたとされる奇跡や復活を歴史的事実だと訴える後半は目に見えて粗く、説得力は皆無。しかしキリスト教的弁証学の紹介として読むと重要な文献をおさえていてわりと参考になる。いっぽう信仰者の立場からすれば、お前はキリスト教の教えが事実っぽいから信じるのか、もしキリスト教と矛盾する科学的発見があれば信仰を捨てるのか、と感じるんじゃないかと思う。でもいいよ、黒人の知能や反社会性・暴力性がどうだみたいな本を出すよりは、稚拙でも宗教についての本をどんどん書いてくれたほうが。