Steve Crawshaw著「Prosecuting the Powerful: War Crimes and the Battle for Justice」

Prosecuting the Powerful

Steve Crawshaw著「Prosecuting the Powerful: War Crimes and the Battle for Justice

ジャーナリストにして国際人権団体で長年活動する人権活動家の著者が、ニュルンベルク裁判・東京裁判から現在まで、戦争犯罪や人道に対する罪を犯した指導者に対する責任がどのように追求されてきたか、その課題とともに示す本。

本書は第二次世界大戦から現在まで、戦争犯罪とそれに対する国際社会や国際人権運動の対応を時系列を追ってまとめていく。ニュルンベルク裁判や東京裁判はナチス・ドイツと日本の犯罪を国際法廷の場で裁く画期的なものだったが、ドイツを占領した米軍やソ連軍による性暴力や原爆投下など連合国軍側の犯罪が放置され、またドイツや日本の関係者のなかでも冷戦のはじまりを受け主に米国の戦略に有用な旧指導者たちが見逃されるなど不十分なものだった。またその後もヴェトナム戦争における米国やアルジェリア独立戦争におけるフランスの犯罪は取り締まられず、アメリカの支援を受けたチリのピノチェト政権による市民虐殺やイラクのフセイン政権が化学兵器(サリン)を使ってクルド人を虐殺したハラブジャ事件も黙認されるなど、ニュルンベルク裁判・東京裁判は一度きりのイベントだと思われた。

それに変化が起きたのは1990年代、冷戦終結による国際社会の米国一極化のもと、ルワンダやユーゴスラビア内戦では民族浄化の責任者が逮捕・追訴され、なかでも日本軍元「慰安婦」運動などを背景に、戦争や民族浄化の手段としての性暴力がはじめて人道に対する罪として認定されたのが大きい。セルビアのミロシェヴィッチ元大統領やピノチェトも逮捕・追訴され、連立与党に甘いという批判もあったけれどもカンボジアでも過去の人権侵害に対する裁判が行われた。2000年代にはリベリアのチャールズ・テイラー、チャドのイッセン・ハブレら元国家元首らに対する裁判も行われ、戦争犯罪などの重大な国際人権犯罪を犯した個人を追訴するための国際刑事裁判所が設置された。それでも欧米先進国の指導者に対する責任追及は行われず、アメリカ政府はもしアメリカ人が被告として拘束され裁判にかけられたら裁判所のあるハーグに軍を差し向けてでも奪還すると宣言している。

2000年代終盤以降、ロシアのプーチン政権によるジョージア内戦への介入から第二次チェチェン紛争、シリア内戦でのアサド政権支援、クリミア占領とウクライナ東部侵略、そしてウクライナ全土への侵略拡大と、相次ぐ侵略的行為とそれに伴う大規模な人権侵害が再三問題となってきた。また同時に、ネタニヤフ首相が率いるイスラエル政府によるパレスチナ支配の強化、ガザにおけるジェノサイドも国際的な非難を受けたが、国際刑事裁判所は「アフリカの独裁者用のもの」とする先進国の差別的な価値観もあり、長らく逮捕状が出されることはなかった。内部の慎重な議論や審査を経てプーチンとネタニヤフに対する逮捕状がついに発行されると(プーチンの罪状はブチャ虐殺や侵略ではなく、民族浄化の手段としてのウクライナからの子どもの連れ去りだった)、ロシアやイスラエルだけでなくイスラエルを擁護するアメリカなども国際刑事裁判所を批判し、トランプ政権に至っては国際裁判所の判事や職員を国際テロ組織構成員と同等に扱う立場を明らかにしている。

このように戦争犯罪や人道に反する罪に対する国際的な責任追及の動きは、ニュルンベルク裁判から一貫して欧米やそれに与する勢力に甘いかたちで運用されてきており、その事実が世界の大多数の国の人たちのあいだでそうした責任追及の正当性に対する疑いや不信を生んでいる。その一方で、そうした有力国家の都合に左右されない市民による国際連帯の動きも進んでいる。とくに近年はオープンソース調査と呼ばれる、一般市民が情報を持ち寄って戦争犯罪を記録する動きが広がっており、ウクライナやガザでは一般市民の情報をのちにジャーナリストや国際機関が調査して事実と確認するパターンが生まれている。いますぐプーチンやネタニヤフその他の指導者を裁判にかけることができなくても、きちんとした記録を残すことが将来かれらに正しい歴史的評価を下し、またロシアやイスラエルの人々が自国の犯罪に向き合うために重要になる。