Jonathan Rauch著「Cross Purposes: Christianity’s Broken Bargain with Democracy」
若いころ宗教と政治はできるだけ離れていた方がいいと思っていた無神論者の政治評論家が、宗教を政治に持ち込むのではなく極右政治そのものを宗教化したようなキリスト教ナショナリズムが権力を掌握するなか、伝統的に穏健なキリスト教が担っていた政治的な役割を再評価し、その復興を求める本。
著者はホロコーストを逃れてアメリカに移住していたユダヤ人の家庭に育ったが、一家は信仰に熱心ではなく、文化を受け継ぐためにユダヤ教学校に通わされた以外は特に宗教的に育てられることはなかった。キリスト教ではこの世に悪が存在するのは神が人間に自由意志を与えて自ら善を選び取るよう試練を課したからだと説明されるが、止められるのにホロコーストを止めようとしなかった神の存在がどうしても受け入れられなかったほか、ゲイである著者は伝統的な価値観を掲げゲイの人権を認めようとしない宗教に疎外感を感じ、無神論者となった。個々の信仰者に対しては他人に信仰を押し付けるのではなくよりよく生きようとしているまともな人が多いことに気づくも、宗教右派による同性愛者に対するバッシングが激しくなるなか、著者はリベラル派の政治評論家となり、政教分離を強く主張してきた。
1990年代以降、同性愛者の権利が進展を見せるようになると、主流派と呼ばれる伝統的なプロテスタント教会の多くはゲイやレズビアンを受け入れはじめ、女性の権利を支持し、移民や貧しい人たちへの支援を行うなど、リベラルな社会への適応を深めた。宗教の裾野を広げようとしたそうした動きはしかし、教会に個人主義を持ち込み、宗教的コミュニティの弱体化・希薄化をもたらす。それに対して極右運動はより男性的・暴力的な教義やスタイルを採用したキリスト教ナショナリズムを広め、トランプ大統領に代表されるファシズム的体制を生み出す。
キリスト教ナショナリズムはアメリカの凋落はゲイやフェミニストやその他のリベラルたちが推進した行き過ぎた個人主義やポリティカル・コレクトネスのせいだと主張しており、キリスト教ナショナリズムの脅威を訴える側の人のなかにもリベラルの行き過ぎが反発を呼び起こしたと考える人がいるが、著者は問題の根源を主流派キリスト教の変質に求める。主流派キリスト教会はより寛容になろうとするあまり人々に宗教的な価値観を押し付けていると見なされることを避けるようになり、宗教に対する人々の欲求に応えられなくなった結果、コミュニティ内の関係性を希薄化させてしまった。いまでは主流派キリスト教会の中では、多くの信者たちが教会の価値や必要性を見失い離脱するいっぽう、一部の信仰者たちがキリスト教ナショナリズムに感化され、穏健な教えを説く牧師らがより強硬な政治的姿勢を打ち出すよう突き上げられたり地位を追われたりしている。
民主主義を安定させるのに特定の信仰が必要でないことは、信仰者が少数となった北欧の一部の国や日本などの例から分かる。しかしアメリカの歴史においては、穏健なキリスト教会がときに大きな間違いを犯しつつも、聖書とともにアメリカ憲法の原則を支えてきた。主流派キリスト教会が強度を失い社会的影響力を低下させるのと入れ替えに、強度を求める人々の欲求に応えるキリスト教ナショナリズムが勃興したが、キリスト教ナショナリズムは従来の聖書解釈もアメリカ憲法も尊重せず、ただ権力を求めその暴力的な行使を賞賛するだけのファシズムである点が伝統的なキリスト教会とはかけ離れている。穏健なキリスト教会が力を取り戻すのはキリスト教徒自身の課題だけれど、キリスト教ナショナリズムによって生活を脅かされるゲイや移民や非白人や女性、そして民主主義を求める多くの人たちにとって他人事ではない。
本書がおもしろいのは、強度がありしかし民主主義と両立する現代の信仰の例として末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教会)を挙げている点。モルモン教会は2008年にカリフォルニア州で行われた住民投票に大金を投じて同性婚合法化を阻止したが、そのことが内外から批判を受け、極右的な政治から距離を取る方針に転換している。モルモン教会はいまでも同性愛に反対する教義を持っており、宗教二世のゲイやレズビアンたちはカミングアウトすると同時に生まれたときから囲まれていた共同体から爪弾きにされたり、そうなることを恐れてカミングアウトできないといった辛い経験をしているが、いっぽう信仰の自由が脅かされない限りにおいて同性婚を保護する法案には賛成の立場を取っている。
モルモン教会は戒律に厳しく、信仰を生活の中心に据えるように求め、きめ細かな相互扶助の仕組みなどにより強度のあるコミュニティを形成しており、だからこそそこから排除されたり居づらくなって逃げ出すゲイやレズビアンたちにとっては普通のキリスト教会を脱退する以上に辛い経験になるのだけれど、いっぽう過去に異端として迫害された歴史を持ち、アメリカ憲法の政教分離原則を聖書やモルモン書と並ぶほど尊重する対象としている。若いころは宗教は世の中に特に必要ないと思っていた著者は、しかし伝統的なキリスト教の退潮が宗教的な強度を求める人々をキリスト教ナショナリズムに追いやったことをふまえ、無神論者でありながら主流派キリスト教の復活を訴えるとともに、宗教によって傷つけられてきたゲイや女性たち、そして無神論者たちに対して、宗教を否定するのではなく宗教の社会的役割を認めたうえで信仰者も非信仰者も共存するための憲法的基盤の尊重を求める。