Schuyler Bailar著「He/She/They: How We Talk About Gender and Why It Matters」

He/She/They

Schuyler Bailar著「He/She/They: How We Talk About Gender and Why It Matters

アメリカ大学スポーツのトップレベルで史上はじめてトランス男性であることを公表して男性として競技し好成績を収めた韓国系アメリカ人の元水泳選手が、自身の経験や各地で講演して触れ合った人たちとの会話を挟みつつ、トランスジェンダー当事者やその家族や周囲の人たち、そしてトランスジェンダーの人たちの存在に不安を抱く人たちに向けて、丁寧に、そして共感性をもってトランスジェンダーについて語る本。

わたしはちょうど二年前にShon Faye著「The Transgender Issue: An Argument for Justice」を読み「これまで読んできたトランスジェンダーについての本で一番おススメ」だと感じて翻訳を呼びかけ、日本語版(『トランスジェンダー問題――議論は正義のために』)が出版されるきっかけを作ったけれど、本書はそれ以来の衝撃。一般読者向けの本とはいえ反監獄論や性労働者運動の文脈を共有しない人にとってはとっつきにくい部分もあった「トランスジェンダー問題」に比べ、さらに一般の読者に分かりやすく読みやすくほんとうの意味で入門書としてお勧めできるのが本書。二年ぶりに「誰かすぐに翻訳して日本語版を出してください」と言いたい。

著者は幼いころからトムボーイ(男の子っぽい女の子)として活発で、高校時代には女子水泳選手として数々の記録を残しハーヴァード大学の女子水泳部に特待生として招かれる。しかしボディイメージの問題から摂食障害に悩み、治療を受けるなか、トランスジェンダー男性であることを自覚しカミングアウトする。摂食障害の履歴があるせいで最初は「あなたは性自認が男性なのではなく女性の身体を受け入れられないだけだろ」と決めつけられ、上半身の手術に必要な診断書も出してもらえない時期もあったけれど、両親や仲間に支えられて男性としての生活をはじめる。そんなかれをハーヴァードの男子水泳部も特待生として招待し、どちらでも好きなチームに加わるよう言われた著者は、男性として競技に参加することを決める。チームメイトの多くはそんなかれを受け入れてくれたけれど、中には陰口を言う人もいたし、悪意のないマイクロアグレッションによって気持ちを削り取られたり、メディアでその存在が取り上げられるとかれの外見や人格に対する攻撃も頻発した。

また競技引退後は各地に呼ばれて学校や企業、コミュニティイベントなどで何百回もの講演を行い、そこで小学生から反トランス的な保守主義者までさまざまな人たちと対話を続けてきた。敵対的な相手や無意識にマイクロアグレッションを向けてくる人たちを議論でやり込めるのではなく、共感的に対話をしつつ相手が自分で間違った思い込みに気づくように仕向ける手法が鮮やかで、自分もこんなふうに対話できたらな、と思うと同時に、「あなたは怒り出したりトランスフォビアだと決めつけるのではなく冷静に対話してくれるので素晴らしい」と褒めてくる相手に対しても「自分はこれを仕事としてやっていてお金をもらっているからいいけど、ほかのトランスジェンダーの人たちに一方的にそれを期待してはいけない」とトーンポリシングというマイクロアグレッションに釘を刺すのもいい。

どうして他人の性自認を尊重しなくてはいけないのか、トランスジェンダーの人たちはどのトイレを使うのか、デートする前にトランスジェンダーであることを打ち明けなくちゃいけないのか、などさまざまな疑問に対してきちんとした回答を出すだけでなく、意図せずミスジェンダリングしてしまった人や、トランスフォビアに加担してしまった人の責任の取り方についても、自身がソーシャルメディアで黒人差別に加担してしまった経験を包み隠さず明かしてどう対処すべきか語り、また白人の父親と韓国系の母親を持つミックスの子どもとして育った経験や摂食障害を経験した経験などを通してインターセクショナリティについて分かりやすく語るなども魅力的。

元水泳選手として自分の身体とスポーツの関係について考え抜いただけあり、スポーツにおけるトランスジェンダー排除の動きについての部分は特にすごい。著者より数年遅れてトランス女性として大学の水泳で活躍したリア・トマス選手とは友人で、彼女がカミングアウトを考えていた時点から既にトランス男性水泳選手として知られていた著者に連絡があり、彼女が保守系メディアで大々的にバッシングされ競技場の内外で彼女に対する抗議デモが起きるなか彼女の相談にのり支えてきた関係。トマス選手に対する攻撃がどうして間違っているのかデータを挙げて反論するとともに、彼女が実際にどういう思いで競技を続けバッシングに耐えていたのか彼女を知る立場から説明する。

トランスジェンダーについての入門書的な本はほんとうにごく基本的なことしか書いてなかったり、また一部のトランスジェンダーの人たちを擁護するためにほかの人たちを(だいたい人種や階級などに沿って)貶めるような論理が書かれているのが多いのであまり期待してなかったけど、この本は入門書でありながら大きく疑問を感じる部分がなく、後半に行くにつれ複雑な話を分かりやすく説明している。最後にはトランスジェンダーの人たちが社会のトランスフォビアに晒された結果そうしたヘイトを内面化してしまっている問題について取り上げ、そこからの希望を訴えるとともに、自分にどう反応するか不安だった韓国人の祖父母や親戚が暖かく受け入れてくれた話で締める。絶賛しすぎてごめんだけど、本当にそれだけいい本。