Sabrina Strings著「The End of Love: Racism, Sexism, and the Death of Romance」

The End of Love

Sabrina Strings著「The End of Love: Racism, Sexism, and the Death of Romance

ファットフォビア(太っている人に対する偏見や差別、そして自分がそれらの対象になることへの恐怖)が奴隷制を正当化するための反黒人人種主義から派生し、いまでもとくに黒人女性に対する抑圧として機能していることを前著「Fearing the Black Body: The Racial Origins of Fat Phobia」で明かしたパンセクシャル自認の黒人女性社会学者が、歴史とポップカルチャーを絡めつつ黒人女性が晒されている「恋愛の終わり」における性的客体化の実態を指摘する。

男性と女性との恋愛結婚を理想化するロマンティック・イデオロギーは、歴史的にはそれほど古くなく、また特定の人種・階級の人たちだけに開かれたものだった。アメリカにおける黒人女性たちは数百年ものあいだ白人の所有物として、性欲のはけ口として、そして次世代の奴隷を生産する道具として扱われてきたが、奴隷制の廃止は彼女たちを白人男性と黒人男性の共有財産としただけで、必ずしも彼女たちの自由を意味しなかった。白人至上主義と反黒人主義のもと、黒人女性は白人社会だけでなく黒人男性たちからも白人女性より価値の低いものとして位置づけられ、男性を陥れ利用しようとする性的に淫らな存在とされた。

カニエ・ウエスト(があんなことになってしまう前)の大ヒット曲のタイトルともなった「ゴールド・ディガー」とは男性を魅了して財産を巻き上げる(主に黒人)女性を指す言葉だが、20世紀初頭にこの言葉が使われだした当初は白人女性に対して使われる言葉だった。まだ女性には参政権もなく、自立して生きることが難しかった時代、美を磨くことで男性を魅了し性的対象を演じることによって利益を得ようとした女性たちがゴールド・ディガーと呼ばれた。のちに男性ラッパーの作品などを通して黒人女性がゴールド・ディガーのイメージに当てはめられたが、かつてゴールド・ディガーと呼ばれた白人女性と異なり、黒人女性たちは性的魅力によって男性を罠にかけて子どもを妊娠・出産し、子どもの養育費として男性から財産をむしり取る存在、というイメージが付けられた。カニエ・ウエストが「18年間、18年間もだ」と繰り返しているのは、子どもが成人するまでのあいだ黒人男性は養育費を払わされ、母親である黒人女性は父親より大きな車に乗っている、という恨みの表現。黒人女性に対するこうした視線は、福祉を受け取るためだけに子どもを次々と出産する「ウェルフェア・マザー」というレーガン大統領らが広めたイメージと組み合わさり、黒人女性たちを経済的に苦しめる。

男性からの視線は(黒人)女性を恋愛の対象ではなく、性的消費の対象、そして男性を罠にはめて搾取する要注意な存在として貶めるだけでなく、「女性がこうなってしまったのはフェミニズムのせいだ」と女性自身にその責任を押し付ける。ヒップホップ・カルチャーはギャングスタラップによって加速した東西抗争の末2pacビギーを失ったあと、麻薬売買や武装抗争から女性の性的搾取にテーマを移し、女性は気を許せる相手ではなく支配して周囲に見せびらかす、あるいは性を売り物にさせて搾取する対象だとする価値観を広めた。

最終章、ポルノに簡単にアクセスできるようになった結果、男性が女性をもはや一緒にセックスする相手とすら見なさず、一方的なマスターベーションの道具として扱うようになっている傾向について書かれているのだけれど、知り合いの研究者の息子で社会学志望の黒人男性がやたらと電話で話をしたがるので応じたところ、自分は社会学を志す黒人の学生を助けるつもりで真面目に話しているのに電話の向こうではマスターベーションをしていた、という話が出てきて、ひどい話だとは思うのだけれど、性暴力の被害を受けたとして男性とその母親(著者をグルーミングした、と言っている)を警察に通報したという。てゆーかいきなり「警察にはこう報告した」とか言い出すから、え、そのパターンで通報したの?本の前半では警察が黒人に対して頻繁に暴力をふるっていることも書いているのに?しかも母親まで?と驚いた。いきなり大学教授をターゲットにするはずがない、おそらくほかの女性に対しても同じようなことをやっているはずだ、というのはわかるのだけれど、この件で警察に通報しても将来の予防にもならないように思うし、仮に犯罪として立件できたとしても大した罪には問われないような。

同じ章では著者が自分はパンセクシュアルだと気づいた経験についても書かれているのだけれど、「ロッキー・ホラー・ピクチャー・ショー」のフランクンフルター博士などフィクションの中のトランス的なキャラクターを見て「自分はトランスが好きなんだ!どうしてトランスが好きな人を指す言葉がないんだ!」と思っていたら「それはパンセクシュアルだね」と言われてパンだと自覚した、という話なので、ツッコミどころが渋滞している。途中まではおもしろかったのだけれど、最後の最後でなんだかもやっとした。