Marquis Bey著「Black Trans Feminism」
最近ブラックフェミニズムやトランスジェンダーに関連した書籍を次々と出しているノースウエスタン大学の研究者によるブラックトランスフェミニズムの本。ブラックセオリーの重要な「fugitivity」という概念を通して黒人女性たちによるブラックフェミニズムの伝統のなかにジェンダーからの解放、ジェンダーの廃止を求めるラディカルなブラックトランスフェミニズムを見出す。
この「fugitivity」という概念、日本でもブラックセオリーは紹介されているだろうしどのように訳されているのかな、と思って検索してみたら、日本の中世・近世史においても「逃散 」というかたちで農民による抵抗としての集団的逃亡が存在していたらしく、fugitivityは逃散性と訳してよさそう(日本の研究者の方、もし定訳がほかにあれば教えてください)。南北アメリカの歴史において黒人奴隷たちによる集団脱走が多数記録されているけれど、そのなかでも一部の人たちは逃げた先で白人から独立した共同体を作り、現地の先住民たちと関わるなどした。かれらはマルーンと呼ばれ、現在でもカリブ海や中南米にその子孫が残るだけでなく、黒人による自治・自立のモデルとしても描かれている。たとえば以前紹介した「All the White Friends I Couldn’t Keep: Hope—and Hard Pills to Swallow—About Fighting for Black Lives」の著者のジャマイカ出身の父親は、ジャマイカ島の山の中に共同体を作りスペインやイギリスと戦って自立を守ったマルーンの子孫であることを誇りとしていた。
本書の前半はブラックフェミニズムとトランスジェンダーによる人種とジェンダーの制度のラディカルな解体についての理論的な話が多く、慣れていないと難しいかも。後半はブラックフェミニズムと逃散性についての著書もある作家のAlexis Pauline Gumbsや詩人のjayy doddとVenus Di’Khadijah Selenite、パフォーマンスアーティストのDane Figueroa Edidiら、ジェンダーノンコンフォーミングやトランスジェンダーの黒人女性たちの、人種差別や性差別、トランス差別などによって常に死に追いやられながらも生への逃散を試みる作品群を取り上げ、フィクションやアートを通した逃散性の現代的展開が分析される。これまで知らなかったけどSeleniteの自費出版デビュー詩集「trigger」とかめっちゃおもしろそうで読みたいけど入手困難っぽいのでILLに注文した。
C. Riley Snorton著「Black on Both Sides: A Racial History of Trans Identity」やMoya Bailey著「Misogynoir Transformed: Black Women’s Digital Resistance」と並んでブラックフェミニズムと黒人クィア&トランスの重なり合った歴史と文化的抵抗を知るうえで重要な本。まあアカデミックな文体なので読みやすいとは言い難いのだけれど。