Gwyn Easterbrook-Smith著「Producing the Acceptable Sex Worker: An Analysis of Media Representations」

Producing the Acceptable Sex Worker

Gwyn Easterbrook-Smith著「Producing the Acceptable Sex Worker: An Analysis of Media Representations

性取引(売買春)が非犯罪化されているニュージーランドでメディアにおいて性労働者がどのように描写されているか調べた本。著者は過去に性労働をしていた経験のあるメディア研究者で、本書は彼女の博士論文をもとにしている。

多くの国のメディアにおいて、性労働者のことを犯罪者や倫理的・道徳的に劣った人たち、性的倒錯者、一般家庭を崩壊させ性病を広める存在として敵視する視線がある一方、性的虐待などのトラウマを抱えていたり精神疾患や薬物依存のためやむを得ず売春に手を出す社会的弱者、あるいは性的人身取引などによって無理やり売春をやらされている被害者、といったステレオタイプ的な描写はとても多い。そうした描写は性労働をスティグマ化し、性労働者が行っている労働を本当の「労働」とは認めない態度と繋がっているとされるが、性取引が非犯罪化され性労働が労働として公認されているニュージーランドにおいて性労働者がメディアにどのように描写されているのかを本書は分析する。

結論から言うと、性取引の非犯罪化は「ニュージーランド市民・白人・シス女性etc.」の性労働者たちに向けられるスティグマを軽減したが、彼女たちが「社会的に許容できる性労働者たち」として受け入れられることは、同時に「移民・アジア人や先住民・トランス女性etc.」の性労働者たちが彼女たちと対比される「社会的に許容できない性労働者たち」というカテゴリに押し込められることとを意味していた。実際、メディアでは前者を「性労働者」(sex worker)と呼び、後者を「売春婦」(prostitute)と呼ぶといった形で、呼称の段階からまったくの別物であるかのように扱われている。

たとえばアジア系の移民や外国人の性労働者たちはメディアでは「違法な売春婦たち」と表現され、合法的に労働し税金を収める(白人)「性労働者」たちと違って税金を払わないばかりか、値段次第ではコンドームを使わずに仕事をする危険な連中であり、都合が悪くなるとすぐ帰国する、「性労働者」の儲けを奪う望ましくない外国人、といった扱いを受けることが多い。ニュージーランドの法律では学生ビザや観光ビザで入国している人が性労働に従事することは認められていないが、それは犯罪ではなく滞在資格を失う理由となりうる移民法上の違反なのだが、「違法な売春婦たち」という言葉は彼女たちの存在そのものが違法であるかのような表現だ。またメディアにおいて「アジア人売春婦」という言葉は事実上「外国人性労働者」という意味で使われており、彼女たちの滞在資格が実際どうなのか、ニュージーランド国民なのかどうかは区別されない。さらに、イギリス人など白人の外国人性労働者についての記事では彼女たちは「違法な売春婦」という扱いはされないことから、実際には法的な資格ではなく人種的な偏見に基づく区別だ。しかも外国人性労働者のほとんどはニュージーランド人性労働者と同じく売春宿で働いているのに、彼女たちについての記事には頻繁に路上売春に関連した(しかし記事の内容とは直接関係がない)写真が使われており、「違法な売春」というイメージが路上売春と接続されていることがわかる。

いっぽう、路上売春そのものについての記事では差別により売春宿で仕事をさせてもらえないトランスジェンダー女性たちについてのものが多く、地域の住民がトランスジェンダー女性の性労働者の存在に苦情を言っている、地域を取り戻そうという運動を起こしている、という記事が多いが、そのなかでは近所にいるトランスジェンダー女性の存在が自動的に性労働と結び付けられており、ドラァグクィーンとの混同が見られるほか、実際にその女性が性労働を行っているかどうかに関わらずトランスジェンダー女性の存在そのものが周囲を不安にさせる、子どもに見せたくない、という声が多い。また、彼女たちも同じ地域の住民であるはずなのに、「地域を住民の手に取り戻せ」というときの「住民」から彼女たちは排除されている。

こうした犠牲により「ニュージーランド市民・白人・シス女性etc.」の性労働者たちが社会的に受け入れられ利益を得ているかというと、それも実際のところは微妙。というのも、「社会的に許容できる性労働者たち」はその条件として、人種や市民権などだけでなく、「生活のためにやむを得ず性労働をしているわけではない」という建前も要求される。ニュージーランドでは売春宿も非犯罪化されているため、表立ってメディアで発言し辛い性労働者にかわって売春宿の経営者らがインタビューに答えることが多く、かれらは「うちはトラウマや精神疾患のある人、薬物依存のある人、生活のためにやむを得ず性労働をしたいという人は採用しない」と頻繁に発言している。かれらが言うのは、売春宿が歓迎しているのはセックスが好きか少なくとも性労働にまったく抵抗がなく、生活に困っているわけではないけれど短い時間で楽に稼ぎたい人たちで、仕事だからと嫌々客を取るような人はお断りだということ。そうしたスタンスを見せることで、かれらは自分たちは困窮した女性たちを食い物にしているのではないと訴えると同時に、自分の売春宿では本当に仕事を楽しんでいる女性だけを揃えている、と顧客に向けたアピールもしている。このため、仕事を得ようとする性労働者たちはこうした雇用者側の期待に応えるパフォーマンスを強いられるが、その結果、実際の労働条件に不満があっても「楽しんで働いているんだろ」「生活に困っているわけじゃないんだから、嫌ならやめればいいんだ」と決めつけられ、労働者としての権利を求めることが難しい。

米国などの性労働者運動は、性取引の「合法化」ではなく「非犯罪化」を要求している。これは、ネヴァダ州の一部に見られるような「合法化」では政府による規制により要件を満たすことができる特権的な「合法的な性労働者」と、滞在資格やその他の理由で要件を満たすことができない「違法な売春婦」が必然的に発生するからだが、本書を読むと「非犯罪化」においても法的にはともかくメディアの扱いにおいては同様の問題が生じてしまうことがわかる。性労働をめぐるスティグマは滞在資格やメンタルヘルス、薬物依存、ジェンダーなどをめぐるスティグマと密接に関連していて、そのうち一つだけを解消しようとしてもそれ以外の部分でスティグマに直面した人たちにしわ寄せが行き、また一見救われたように見える人たちもスティグマを避けるためには経営者側に都合のいい現状維持を受け入れさせられることになる。

非犯罪化はベースラインでありゴールではない、というのは多くの非白人やトランスジェンダーの性労働者たちが長らく訴えてきたことだが、本書は実際に性労働が非犯罪化されたニュージーランドで何が起きているかを通してその訴えの正しさを示しているといえる。そういえば以前、オレゴン州で性取引の非犯罪化についての人権委員会のヒヤリングに出たんだけど、リモートで参加したニュージーランドの警察の人が「非犯罪化されたおかげでわれわれは性労働者を逮捕するようなバカげた行為をやめて、外国人や未成年の性労働を取り締まることに集中できる」って言ってて、うわあその取り締まりって実際どうなのよって思ったけど、やっぱり性労働が非犯罪化されても警察は味方にはなり得ないなあと。