Cass R. Sunstein著「How to Interpret the Constitution」

How to Interpret the Constitution

Cass R. Sunstein著「How to Interpret the Constitution

いつのまにかバイデン政権で国土安全保障省の上級顧問に就任していた(ちなみにパートナーのサマンサ・パワー国際開発長官のオマケで政権入りしたとの噂)キャス・サンスティーンせんせーの新著。サンスティーンお得意の、テーマをアイディア1つに絞った短い本(たとえばこれ)だけど、「憲法をどう解釈するか」という本書の主題は著者の専門のど真ん中なだけあってしっかりした内容。

ここのところアメリカでは、保守派の最高裁判事たちによって妊娠中絶やアファーマティヴ・アクションをめぐり長年続いた判例を覆す判決がいくつもくだされているが、保守派判事らがその根拠として挙げるのはオリジナリズム(原典主義)と呼ばれる憲法解釈理論、すなわち憲法の条文はそれが書かれた当時の解釈を維持すべきだという考え方。たとえば2022年のDobbs判決が過去の判例を覆すまで、妊娠中絶の権利は憲法のさまざまな条文から導き出されるプライバシー権の一貫として擁護されてきたが、憲法にはプライバシー権などという権利は書かれていないし、憲法が制定された当時その条文が妊娠中絶の権利を保証すると解釈していた人はいなかった。從ってそのような憲法上の権利は認められない、というのがオリジナリズムの立場になる。

しかしもちろんオリジナリズムは憲法解釈の唯一絶対の理論ではないし、オリジナリズムにも当時の解釈をどのレベルで(文面か、策定者の意図か、当時の一般的な理解か、など)維持すべきかによっていくつか種類があり、決して一義的に解釈を決めることはできない。憲法には日常起こるあらゆる問題について書かれているわけではないし、そもそも憲法が書かれた当時と現在では社会のあり方が大きく変化していて、当時存在しなかった物事や概念もたくさんある(たとえば言論の自由を保証した条文はインターネットにも適用されるのか、など)。憲法の条文を尊重するといっても、多くの場合どのように解釈すれば尊重したことになるのか自明ではない。当時の意図や解釈をそのまま受け入れるのか、それとも条文に表された理想や原理原則(平等、自由など)を現代社会に当てはめて解釈すべきなのか、というのは大きな分岐点になる。

オリジナリズム以外の憲法解釈の理論としては、判断が難しい場合は伝統や慣例に従うべきだという伝統主義の考え方や、誰が見ても明らかに違憲でないのであれば原則的に裁判所は議会や行政の政治的な決定を尊重すべきだという考え方、より矛盾が起きず社会が安定する解釈を取るべきだという考え方、より自由で民主的な方向に推し進めるような解釈をすべきだという考え方などがある。こうした理論のうちどれかの理論が正しく他が間違いであるというわけではなく政治的な選択であり、もしどれか特定の解釈の理論を主張するのであれば、それが理念上ではなく現実のアメリカ社会においてより良い憲法的な秩序をもたらすことを訴えるべきだ、と著者は主張する。

たとえば、法の下の平等を定めた憲法修正14条が制定されたとき、妊娠中絶の権利や同性婚の権利はもちろん、人種隔離政策や女性に参政権やその他の権利を認めないことが法の下の平等に反するという認識は共有されていなかった。オリジナリズムの理論に従うとそれらの権利は憲法が認めたものではないので、一部の州が同性婚や女性参政権を廃止したり人種隔離政策を復活させたとしても憲法違反にはならない、ということになる(が、オリジナリズムを主張する保守派判事らは同性婚や中絶の権利についてはこのとおり主張するが、女性参政権や人種隔離政策については誤魔化しがち)。このような理論が導き出す憲法的秩序は望ましくないものであり、だから現代アメリカにおいてオリジナリズムは否定されるべきだ、と著者は言う。

もしアメリカの憲法がより平等で民主的な時代に制定されたものだったのであればオリジナリズムは好ましい憲法的秩序をもたらしたかもしれないし、もしアメリカが伝統的により平等で民主的な歴史をたどっていれば伝統主義的な解釈が有効だったかもしれない。もしアメリカの政治が人種や階級、セクシュアリティなどによってここまで分断されていなければ、よほどのことでない限り裁判所がいちいち議会や行政の政治的判断を吟味せず尊重する制度でも良かっただろう。しかし現実問題として、アメリカでは歴史を通して裁判所がさまざまな過ちをおかしつつも、より自由で平等で民主的な憲法秩序をもたらすために大きな役割を果たしてきたことは否定できない。わたしたちがどのような憲法解釈の理論を選択すべきかは、理念や信条としてではなくこうした歴史的経緯をもとに判断すべきだ。

わたしたちはどのような理論に基づいて憲法解釈をするのか選択しなくてはいけないと著者は主張するが、実際の判例を見ていると最高裁全体、あるいは個々の判事がなにか特定の憲法解釈の理論を一貫して適用しているわけではない。本書だけでなくオリジナリズム批判の書「Worse Than Nothing: The Dangerous Fallacy of Originalism」(Erwin Chemerinsky著)にも書かれていているように、アファーマティヴ・アクションをめぐる最高裁の審理においてはリベラル派のケタンジ・ブラウン・ジャクソン判事がオリジナリズム(憲法修正14条は奴隷制から解放された黒人たちの権利を守るためのアファーマティヴ・アクションと同時に制定されたのであり、アファーマティヴ・アクションを否定する意図があったとは考えられない)を援用し、保守派の判事たちがオリジナリズムを無視した判断をしている。

Chemerinskyはオリジナリズムを標榜する保守派判事たちが実際には一貫した憲法解釈の理論に基づいて個々の事例を判断しているのではなく、保守懐古主義に都合のいい理論としてオリジナリズムを使いまわしつつ都合が悪くなるとあっさり放り捨てて行き当たりばったりに別の解釈を採用していることを指摘しているが、著者は保守派判事たちの「オリジナリズム信奉者」という自称をそのまま受け入れたうえで、憲法解釈の理論の違いとして扱っている。まあそのあたりの中道っぽいポーズがサンスティーンせんせークオリティなわけだけど、まあいろいろ勉強になったよ。