Arline T. Geronimus著「Weathering: The Extraordinary Stress of Ordinary Life in an Unjust Society」
差別や社会的不公正についての議論で最近注目を集めている「ウェザリング」という概念について提唱者である著者が解説する待望の書。
「ウェザリング」の元となっている「ウェザー」は名詞としては「天気・天候」という意味だけれど、動詞としては嵐や難局を「耐え抜く」、そして何かを雨風に晒すなどして「風化させる」という意味になる。著者は日常的に直面する人種差別や貧困、トランスフォビアなどの制度的不公正を生き抜き、その結果として心身を削り取られてしまうマイノリティの経験を表現するためにこの用語を使っている。
著者ははじめウェザリングを差別がもたらす精神的なストレスのたとえとして考え出したが、強いストレスに恒常的に晒された人たちは身体にも負担を積み重ね体調を崩していく。そうした変化は年齢より早い老化として現れ、心臓病や高血圧などにより多くの命が本来よりも若くして失われていくことが、疫学調査とエピジェネティクスやテロメアの損傷など生物学的な研究を組み合わせて説得的に示されていく。アメリカでは都市部の黒人やアパラチア地方に住む貧しい白人たちの平均寿命が短いことが知られているが、その主な理由はメディアを賑わすストリートギャングによる銃犯罪やオピオイド依存によるオーバードーズ、自殺によるものではなく、心臓病をはじめとした老いとともに増加する一般的な疾病によるものだ。
アメリカにおいて黒人女性が出産時に死亡する割合が先進国ではありえないくらいに高く、しかもここ数十年のあいだ悪化していることはよく知られているが、ウェザリングの理論はこの現象に説明をつける。黒人女性が出産時に問題を経験する確率の年齢分布を見ると、明らかに白人女性より若い年代に偏っており、これは黒人女性が白人女性であれば高齢出産に伴うものとされているリスクを白人女性に比べて若いうちから抱えていることを意味する。20代後半から30代前半の黒人女性にとっての出産のリスクは30代後半から40代前半の白人女性と同じくらいであるのに、白人女性のデータを元としてリスクを判断する医者たちにそのリスクが認識されないため、余計にリスクが深刻化している。
これに拍車をかけたのが、黒人家庭の貧困を解消するためには黒人女性たちが妊娠・出産を遅らせて、進学や仕事を優先すべきだ、とする公共政策だ。もちろん進学や仕事を優先することは経済的な地位向上には繋がるのだけれど、社会的な地位を上昇することはすなわち白人社会のなかで数少ないマイノリティとしてより人生の長い期間を過ごすことになり、その結果さらに周囲の白人たちとの軋轢を通して心身を削られていく。その結果として白人と同じ年齢で出産しても黒人女性たちが抱えるリスクは大きくなる。白人のあいだでは収入や社会的地位の向上は健康面でも恩恵があるが、黒人のあいだでは収入や社会的地位が高まるとともに健康上のリスクも増えていくというデータもある。
人間をはじめとする動物は進化の過程で、自分の安全を脅かすような外敵や状況に対処するための仕組みを発達させてきた。強いストレスに晒されたとき人体はコルチゾルを生成し、血糖値を上げ、闘争・逃避反応を取れるようにする。こうした人体の反応は「火事場の馬鹿力」とも呼ばれるが、緊急時において生存の確率を上げるこうした仕組みは、ある個体がストレスに恒常的に晒された場合、過剰な反応を引き起こし、体を壊してしまう。自分以外に黒人が一人もいない場に入るたび、あるいは警察官が近づいてくるたび、もしもの時に備えて自動的にストレス反応を繰り返す結果、実際に差別的な扱いを受けたり暴力をふるわれることが稀であっても、ダメージは蓄積していく。
アメリカ社会は、困難な状況に生まれた人が努力と才覚によって成功する物語を称賛してきた。しかし本書はそれが無責任な自己責任主義であるばかりか、本人の健康を犠牲としたものでもあることを指摘する。またこれらの研究は、恵まれない環境に生まれた子どもを「良い」とされる学校に優先的に入れたり、貧しい家庭を「安全な」住宅街に引っ越しさせるようなアファーマティヴ・アクション的な政策が長期的には本人たちをより過酷なウェザリングに晒して命を削る可能性も示唆している。
医療など社会的サービスの提供において「トラウマ・インフォームド」であることの重要性が論じられてきたが、今後は差別や貧困への取り組みのなかで社会政策を「ウェザリング・インフォームド」であるかどうかで評価することが必要になりそう。今後のあらゆる社会政策の議論のベースとなるべき超重要文献。ここ最近いろいろなところで耳にするようになったウェザリングの概念をわかりやすく、そしてとても説得的に解説してくれた。