Tony DelaRosa著「Teaching the Invisible Race: Embodying a Pro-Asian American Lens in Schools」
アメリカの教育においてアジア系アメリカ人についてどう教えるか説明する、教師や学校関係者に向けた本。タイトルの「見えない人種」というのは、アメリカで人種問題について扱うときに白人と黒人だけで話が進んでしまい、近年もっとも人口比における増加が進んでいるアジア系が不可視化されていることを指している。
基本、教育現場に向けて書かれた本なので、アメリカにおける教育で称揚される「多様な人々が集まって時には対立したり交流したりして暮らしている国アメリカ」というイデオロギーに沿うかたちで、アジア系アメリカ人の政治家・活動家・企業家・作家・アーティスト・文化人らによる歴史的な貢献や活躍を取り上げよう、という内容が中心。東アジア系やインド系が目立つなか、ほかにも多様なアジア系アメリカ人のコミュニティが存在していることもきちんとおさえたうえで、実際にクラスの中にいるアジア系アメリカ人の子どもがバイアスを受けずに学べるように、という内容も含まれる。
著者はアジア系アメリカ人をめぐる「モデル・マイノリティ神話」について繰り返し取り上げる。これは収入や教育程度を基準としてアジア系アメリカ人がほかのマイノリティや白人より成功しているというデータをもとに、アジア系アメリカ人を「良いマイノリティ」として祭り上げ、同時にその他のマイノリティが同じように成功しないことをかれらの能力や努力の不足だとして非難するような考え方だ。モデル・マイノリティという考え方が歴史的に黒人に対する差別や偏見を正当化するために生まれてきた反黒人的なイデオロギーであることは一応指摘しつつも、本書ではこの神話がデータの単純化によって成り立っていること(平均世帯収入が多いのはアジア系アメリカ人が物価が高く平均収入が高い地域に多く世帯が大きいことも関係している、収入はインド系が突出していて白人よりはるかに低いグループもある、など)、そしてモデル・マイノリティ神話によってアジア系アメリカ人の子どもたちに過剰な期待が生じていることなどに重点が置かれている。
フィリピン系の著者自身、それほどいい成績を取っていたわけではないのにアジア系であるというだけで勝手に才能のある生徒のクラスに入れられて苦労した、という話を書いており、たまに聞いたことはあったけれどこういう話は思っていたより一般的なのかも。Kylie Cheung著「Survivor Injustice: State-Sanctioned Abuse, Domestic Violence, and the Fight for Bodily Autonomy」では白人の教師たちが「アジア系の親は教育熱心ないい親」という思い込みからアジア系の家庭で起きていた虐待を見逃し、子どもがトラウマを経験しているシグナルを出していても「いい成績を取るように親からプレッシャーをかけられてストレスを感じているのだろう」と解釈されるなど、モデル・マイノリティ神話によって起こされるより深刻な問題が書かれていたが、本書はそこまでは踏み込んでいない。
アジア系アメリカ人について最近言われるようになった「白人の近隣 (white adjacent)」という表現について、本書はモデル・マイノリティ神話の行き着いた先として批判している。この表現は本来、アメリカにおける人種差別がすべての非白人に同じように経験されているのではなく黒人たちは歴史的にも現在でも特有の反黒人主義的な差別の対象となっており、アジア系やラティーノのなかでも肌の色が浅い人たちは準白人として反黒人主義的な差別から守られるだけでなく利益を得ているという指摘に基づくもの。たとえば黒人の若者が警察や店主や雇用者らによって自動的に倫理的・能力的に問題があるとみなされる一方、白人やアジア人は本人の資質に関係なく自動的に歓迎されるとき、アジア人は準白人としての扱いを受けていると言える。しかし本書は極右活動家である中国系アメリカ人のXi Van Fleet氏が書いた「Mao’s America: A Survivor’s Warning」と同様に、この表現はアジア系アメリカ人がいまでも差別や偏見を受けていることを否定し、アジア系と白人を同一視する間違った考え方だとして批判していて残念。