Kate Manne著「Unshrinking: How to Face Fatphobia」

Unshrinking

Kate Manne著「Unshrinking: How to Face Fatphobia

倫理哲学者である著者が、哲学界および一般社会のファットフォビア(太っている人への社会的偏見や構造的差別)と戦う本。

序盤は医学的な視点から、体型は長期的には本人の努力や覚悟によって変化させられるものではないことや、太っていることとさまざまな疾患との関係は多くの人が考えているほど単純ではないこと、太っている人への差別や偏見は本人が痩せるための動機にはならず、逆に不健康なダイエットや社会的な孤立、医療の隠避などを通して多くの人たちの健康を悪化させていることなどを指摘。しかし著者は、これらのこととは関係なく、体型や健康による差別や偏見はそもそもそれ自体が不当であり、個人の生き方に対する干渉であるとして、そこから議論を膨らませていく。

そもそも太っていることが倫理的な悪だとされたのは、Da’Shaun Harrison著「Belly of the Beast: The Politics of Anti-Fatness as Anti-Blackness」などにも書かれてきたように、植民地主義と黒人奴隷制を正当化するために発達した人種学に起源がある。そして太っている人への差別や偏見はいまでも、表立って口にし辛くなってきた人種や人種による偏見をこっそり紛れ込ませる裏口として、女性の身体に対する支配の一貫として、そして資本主義における需要喚起の手段として機能している。

本書の中では特に、ほかの人文学分野に比べて圧倒的に白人男性の割合が高い哲学の世界において近年「逆張り」的にトランスフォビアと並んでファットフォビア的な発言が増えていることを指摘している部分がおもしろい。いわゆる「トロッコ問題」の一バージョンで「太っている人を橋から突き落として暴走しているトロッコを止めるべきかどうか」という問題が哲学入門の授業で頻繁に取り上げられるのは太っている人を道具化して笑う感性と無関係ではないし(ちなみに哲学にはほかにも「水没しかけている洞窟に多くの人が閉じ込められており、出口から脱出しようとした太った男が挟まって動けなくなっているが、ダイナマイトでその男ごと爆破しても良いかどうか?」という別パターンの思考実験もある)、功利主義の代表的な哲学者ピーター・シンガーが「太っている人は飛行機に乗る際追加料金を払うべきだ」と主張したり、著名な生命倫理学者のダニエル・キャラハンが太っている人に痩せるよう圧力をかける手段としてスティグマを利用すべきだと主張したように、哲学界でのファットフォビアは深刻。その根底には、デカルト以来の「心身問題」をめぐる哲学的伝統のなかで太っている肉体が優れた知性の対極に置かれてしまった事実があり、体型に悩みさまざまなダイエットを経験した著者のような女性哲学者にとっては自分のキャリアにも関わる大きな問題となった。

著者はあらゆる身体を肯定的に捉えるボディ・ポジティヴでも、それへの反応としてそもそも肯定や否定といった判断を拒否しありのままの身体を受け入れるボディ・ニュートラルでもなく、ボディ・リフレクシヴィティの立場を主張する。それは身体への評価軸を変えるのではなく、「誰が」「なんのために」わたしたちの身体を評価するのか批判的に検証し、そうした評価からの自由を求めるものだ。正直ボディ・ニュートラルとどう違うのかわからないけど、まあ独自の概念の一つや二つ提唱しないと哲学者の書いた本じゃないよね!ってわけで。