Judith L. Herman著「Truth and Repair: How Trauma Survivors Envision Justice」
ともに日本語に翻訳されている『父-娘 近親姦「家族」の闇を照らす』(1981)では家庭内における父親から娘への性的虐待の蔓延を告発し、続く『心的外傷と回復』(1992)では性暴力被害者が抱えるトラウマと戦争や拷問によって生じるトラウマの共通性を指摘しその回復になにが必要なのか提示したジュディス・ハーマンが、それから30年を経て満を持して出版する新作。多数のサバイバーたちへの調査をもとに、性暴力のトラウマを癒やすのは加害者の処罰ではなく真実の認定と真摯な反省、加害者の更生、具体的な被害への補償であることを指摘する。
本書はあるサバイバーの経験を紹介することから導入。夜中に部屋に侵入してきた元交際相手からの性暴力の被害を受けたサラ・スーパーさんという女性は、自宅から隣人の家に逃げるとただちに警察に通報。警察はすぐに駆けつけると彼女の話を真摯に聞いてくれて、加害者は逮捕される。彼女はサバイバー支援団体からの支援を受けただけでなく、検察官からも支えられ、犯人の裁判で声明を読みあげることもできた。犯人は有罪判決を受け、12年の禁固刑が言い渡された。性暴力の大多数は警察に通報されないし、通報されても加害者の逮捕には至らないし、逮捕されても起訴には繋がらないし、起訴されても有罪になることは少なく、有罪になっても大した罰が与えられない傾向が強いことを考えると、彼女のケースは全てがうまくいった、制度が決められたとおりにきちんと機能した例に見える。
しかしこの事件は彼女と加害者がともに関わっていたコミュニティを二分した。交際していたときは彼女とも仲良くしていた加害者の家族は、彼女となんの対話もないまま、むしろ彼のほうが被害者だといわんばかりにコミュニティの支援を募り、かれの弁護費用を払うための募金を集めたりかれがいかに立派な人物かという手紙を提出するキャンペーンを展開した。彼女がメディアで性暴力サバイバーとして声をあげたあとも、加害者を知るコミュニティの人たちの多くは見て見ぬ振りをした。コミュニティのこうした反応は、考えられる限り全てが最善に落ち着いた場合ですら、性暴力サバイバーが刑事司法制度を通して本当に必要としている癒やしを得ることが困難であることを示している。
『心的外傷と回復』以来ハーマンは、トラウマからの回復には「安全の確立」「想起と服喪追悼」「通常生活との再結合」という三段階が必要だと論じてきた。しかし上記の例は、それらに加えて「社会的公正」という第四の段階が必要であることを示している、と彼女は主張する。そしてそれは、コミュニティがサバイバーが経験した被害を真実だとして共有し、可能であるなら加害者がそれを認め真摯に反省し、加害者が更生することにより再犯が予防され、そしてサバイバーが受けた具体的な被害が補償されることだ。残念ながら刑事司法制度は社会的公正をもたらすことはできないばかりか、敵対的な関係を悪化させることで加害者やその周辺の人たちをより強硬にしたり、被害者のことを嘘つきだとかお金目当てだする中傷を引き起こしてしまう。
サバイバーは感情に任せて加害者に対する厳しい処罰や加害者からの賠償金の支払いを望んでいるものだと思われがちだが、著者が話した多くのサバイバーたちが望んでいるのは真実や加害者の真摯な反省と更生など、社会的公正に属するものだ。しかし刑事司法制度にはそれを実現するための現実的な手段がないため、処罰や賠償金支払いを求めるしかサバイバーには選択肢がない。しかしどんな処罰が下っても、あるいは賠償金が支払われても––実際にはそれはごく稀にしか起きないレアケースなのだけれど––それはサバイバーの傷を癒やすには足りない。
社会的公正を実現するためのさまざまな取り組みは、わたし自身も関わってきたものやわたしの知り合いが関係しているものも含め、本書ではたくさん紹介されている。たとえば最初に出てきたサラ・スーパーさんは性暴力サバイバーに捧げられた公的な記念メモリアルの設立を訴えかけ、実現させた(本書の表紙にその写真が使われている)。修復的司法のように一部には広く制度化されたものもあり、それはそれで制度化の過程においてまた問題が生じたりもしているのだけれど、多様な試行錯誤と議論はとても大切。
わたしにとっては残念なことながら、著者は売買春やポルノを全面的に否定する立場に立っており、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルやアメリカ自由人権協会(ACLU)、反人身取引団体フリーダム・ネットワーク、人身取引サバイバーの団体ナショナル・サバイバー・ネットワークなどが主張する性売買の非犯罪化に反対し、性労働に従事する側だけ非犯罪化する一方買春側などを今より厳しく取り締まる、著者が「平等モデル」と呼ぶ政策を主張している。この論争にはどちらのほうが被害を減らすことができるかどうかという実証的な問題だけでなく、政策を通してどういうメッセージを社会に発信すべきかという問題もあり、わたしと意見が異なること自体は構わないのだけれど、全面的な非犯罪化を主張する立場をリバタリアンだとか性産業のロビーだと決めつけ、その主張にきちんと向き合おうとしなかったり、それを支持するサバイバーたちも存在することを無視する姿勢が残念。
最終章では性暴力に反対する運動を続けてきた多数の市民団体が署名して2020年に発表した「サバイバーの議題」(Survivor’s Agenda)という声明文を紹介し、それに対する支持を表明しているのだけれど、この声明は明確に性売買の全面的な非犯罪化を唱えており、本来なら著者の主張とは矛盾するはずだ。しかし著者は声明に「合意ある大人同士」の性売買を非犯罪化するべきだ、と書かれている部分を引用し、性労働(という性労働者によって生み出され使われてきた表現を著者は認めていないが)に従事する人の大部分は過去のトラウマや貧困などの影響によってそれを選ばされているのであって本当の意味で「合意」してはいない、として「サバイバーの議題と平等モデルのあいだに矛盾はない」と書いている。これは明らかに間違っており、「サバイバーの議題」を意図的に歪曲するものだ。そもそも著者はニューヨーク州で「平等モデル」に基づく法案と非犯罪化の法案が同時に提出され議論されている、として前者への支持を表明しているのだけれど、「サバイバーの議題」の公式サイトでは「全面的な非犯罪化」という部分が彼女が反対する非犯罪化法案へのリンクとなっている。多数のサバイバーやサバイバー支援者たちの団体が署名した声明が全面的な非犯罪化を主張していることは、非犯罪化を主張しているのはリバタリアンや性産業ロビーだけではないことを証明しているのだから、そこは真摯に向き合ってほしい。
とはいえ本書は、第二波フェミニズムや反性暴力運動に多大な影響を与えた著者が80歳を超えたいま、MeTooやブラック・ライヴズ・マターといった新しい社会運動の拡大を受け30年ぶりに出した一般向けの本であり、反性暴力の取り組みの過去30年の成功と失敗をふまえたうえで次の段階に進もうとする重要な本。性売買の部分は残念だけれど、社会的公正に向けた多数の提言は『心的外傷と回復』と同じくらい影響を持ってほしい。