Jo Boaler著「Math-ish: Finding Creativity, Diversity, and Meaning in Mathematics」

Math-ish

Jo Boaler著「Math-ish: Finding Creativity, Diversity, and Meaning in Mathematics

数学教育改革の第一人者として知られ、右派メディアでは「ウォーク数学」を推奨しているなどとして盛大に叩かれている著者の待望の本。

著者は公式を暗記し与えられた問題にどの公式を当てはめて答えを出すのか覚えさせるといった伝統的な数学教育を批判し、より多様なアプローチや経験的な学習、ビジュアル化や体験を通した数学的概念の理解を促す数学教育を提唱している。そうした数学教育は生徒たちに数学の楽しさや発見の驚きを与えるだけでなく、伝統的な数学教育から疎外されてきた女性や非白人にも数学にふれる機会を広げると著者は主張し、彼女の理論はカリフォルニア州における数学カリキュラムにも採用されたが、右派による公共教育への攻撃が広がるなか、「数学教育より社会的正義を優先している」などとして右派メディアや右派活動家たちに叩かれ、教育学者の著者のもとには嫌がらせや殺害予告が集中する事態に。

そもそもアメリカの公共教育においては学校がある地域によって格差が激しく、白人中流層が住む郊外の学校区では生徒本人の意欲や能力に応じてどんどん進んだ数学の授業を受けられるのに対して、黒人など非白人が多い地域では微分積分など高度な数学の授業はそもそも行われないまま、能力主義の口実のもとそもそも機会も与えられていない生徒たちが早急に切り捨てられている。また統一テストの結果が悪い学校は予算が減らされるという仕組みのなか、貧しい地域の学校ほど数学の楽しさを伝えるのではなくテスト結果を向上するための初歩的で単純な学習の繰り返しが行われ、ますます生徒たちは数学への興味を失ってしまう。著者らが提唱する数学教育改革は、そうした子どもたちに再び数学の楽しさを教え、数学的なセンスを育てようとするもので、さまざまな研究でも良い結果が報告されているが、予算をきっちり確保できる研究の現場と異なり現実の教育現場においては十分な時間や予算が取れないし現場の教師たちも対応できない、などの批判もある。しかし右派による攻撃はそうした教育学者のあいだの論争とは無関係に、著者らの提唱する数学教育改革を「批判的人種理論」や「クィア理論・ジェンダー理論」と無理やり結びつけて叩くものだ。

著者が提唱する具体的な数学教育の手法についてはめっちゃおもしろいけど説明しきれないので本書を読んで欲しいが、興味深いのは日本の数学教育を著者が絶賛している点。右派による公共教育への攻撃に加担しているアビゲイル・シュライアーによる「Bad Therapy: Why the Kids Aren’t Growing Up」でも日本の教育が生徒を過保護に守らず自主性を尊重しているとして褒められていたけれども、そのシュライアーらによって攻撃されている側の著者もまた日本の教育が過度な個人主義や能力主義に陥らず生徒たちが間違いつつ学ぶ過程を大切にしているとして褒めているのが不思議。実際にどうなのかは良く知らないし、日本といっても地域によっていろいろ違いがあるんじゃないかと思うのだけれど、右派のシュライアーと改革派教育学者の著者がともにアメリカの教育を批判する文脈で日本が比較対象として挙げられているのがおもしろい。