James Tabery著「Tyranny of the Gene: Personalized Medicine and Its Threat to Public Health」
遺伝子研究により個人に最適な治療を施す「個別化医療」(パーソナライズド・メディスン)が実現するという主張に異を唱え、個別化医療という約束の裏で本当に必要な公衆衛生上の政策が無視されていることを警告する本。
伝統的に医学ではさまざまな疾患に対して有効とされる治療法や治療薬を統計的に導き出してきたが、その多くは患者個人ではなく同じような症状のある人たち全体に対して一定の効果が認められたものでしかなく、その個人に有効とは限らない。しかし遺伝子解析を採用することで、その人個人に対してどういう治療法や治療薬が有効なのか判断することができるようになり、それにより医療の無駄を省き、またより成功率の高い治療を提供することができるようになる、というのが個別化医療の約束だ。これは個人の遺伝子解析およびビッグデータの処理が安価に可能になったことによる恩恵であり、今後の医療は個別化を進めていくべきだ、と言われている。
それに対し著者は、これまでの公衆衛生や医学研究の歴史のなかで起きた路線対立を紹介しながら、個別化医療が本来ならそれが必要とするような患者の生きる環境や生活実態の分析を放棄し、遺伝子配列という分析しやすい部分だけに注目しがちな点を批判する。たとえば住んでいる環境がどのような化学物質に汚染されているのか、食生活はどうなのか、必要な休暇は取れているのか、極度なストレスにさらされていないかどうか、などは本人の健康や治療法の有効性に強く作用するはずだが、それらのデータを収集してビッグデータを蓄積するのはコストが高くつく。いっぽう遺伝子配列を分析するだけならコストの目処がつきやすく、大量のデータを収集して分析するのも容易。その結果、わたしたちの健康や病気からの回復に影響するさまざまな要因のなかから遺伝子という側面ばかりが注目され、環境的な要因を改善しないまま、それぞれの患者に適した薬を処方する、という形での解決が図られてしまう。
それでも実際に遺伝子分析によりより良い医療が提供できるのであればまだしも、それも怪しいと著者は指摘する。たとえば高血圧や糖尿病のような慢性的な疾患についてゲノムワイド関連解析(GWAS)が明らかにしたことは、それらの発生にはとても多数の遺伝子がそれぞれごく僅かな影響をもたらしているという事実だった。もちろんそうした要因を総合してそれぞれの患者の危険度を判定することはできるけれども、どれか一つ、あるいはいくつかの遺伝子の影響をコントロールすることは疾患の発生にほとんど影響しない。いっぽう一部にはごく少数の遺伝子による影響が大きい疾患も存在し、そうした例においては個別化医療は有効だが、実際のところそうした疾患は希少であり十分な利益が出ないため特効薬は開発されないか、開発されてもほとんどの人には代金を支払えないような高価なものになる。
患者の環境や生活実態に注目した医療研究はコストがかかり予算が降りないばかりか、健康を改善するための対策にも環境改善などにコストがかかるため政治的な実現は難しい。いっぽう遺伝子解析の分野には多くのベンチャー企業や伝統的な製薬会社などが群がり、かれらと繋がった政治家たちも研究予算捻出に熱心。その夢はたしかに素晴らしいが、それによって見落とされているものが何なのか、本書の指摘は貴重。