Burkhard Bilger著「Fatherland: A Memoir of War, Conscience, and Family Secrets」
米国オクラホマでドイツ系移民の子どもとして育ったニューヨーク誌のライターが、家族の中でタブーとなっていた、第二次世界大戦後にナチスの地方幹部として戦犯裁判にかけられた祖父について十年かけて調査して見つけた真実を明らかにする本。
著者の両親は1930年代生まれで第二次世界大戦が起きたときにはまだ子ども。1960年代にアメリカに移民してオクラホマに住むも、ドイツ系移民と知られると周囲のアメリカ人たちはかれらの年齢から第二次世界大戦時の年齢を逆算するのを感じていた。著者は幼いころから戦時中・戦後の生活苦やドイツ社会についての話を聞いて育つも、歴史学者でありナチス占領時のフランスのヴィシー傀儡政権について研究していた母親は、自身の父親がナチスの時代にどこで何をしていたのかほとんど語らなかった。
祖父が戦犯として裁判にかけられたことを知った著者は、ジャーナリストとしての経験を生かして自分の家族の歴史を調べはじめる。ドイツでは戦後、多くの人たちが戦時中にナチスに協力していたことについて口を閉じ、その子どもにあたる著者の両親世代のドイツ人たちはかれらを否定する一方で詳しく知ることを避けた結果、多くの家族の歴史に空白が生じてしまった。そうしたドイツ人たちの一部はその空白を埋めようとナチス時代の資料や戦後処理の文書のアーカイブをあたり調査したが、そこで見つける真実は多くの場合かれらにとって過酷な内容だ。
著者もドイツ系アメリカ人の一人として調査を開始。それによると、教師だった祖父は当時のほかの多くの教師とともにナチスに入党し、ドイツがフランスから奪ったアルザス地域に党幹部として派遣されるとともに、フランス式の教育を受けていた生徒たちをドイツ化する任務を帯びて小学校に赴任した。祖父は党本部と頻繁に連絡を取っておりそれが資料として残されているが、かれ自身はナチスの人種政策ではなく経済政策を支持しており、ユダヤ人排斥を積極的に推進した様子はないものの、フランス語の本を回収して焼くなどの活動に関わっており、またヒトラーとナチスを礼賛する文書を多く残した。戦後かれは政治的殺人を指示した疑いなどいくつかの罪に問われたが、住民たちからの嘆願などもあり最終的には無罪に。終戦直後はナチスやその関係者らに対する徹底した復讐を望む空気が強かったが、祖父が裁判にかけられた時には既に一般党員や地方幹部を厳しく処罰する風潮ではなくなっていた。
既に書いたとおり、祖父はヒトラーのユダヤ人排斥を積極的に推進してはいなかったが、それに立ち向かう勇気はなかった。ナチス党員の市長らほかの地方幹部と協力して(ドイツ系)住民のために尽くしたいっぽう、ナチスが行っていた侵略戦争や人権侵害を黙認したばかりか、アルザスのドイツ化という重要な国家目標に全力で貢献した。戦犯裁判で無罪となったあと、ドイツで教職に復職し、亡くなったときは素晴らしい教師だったとして卒業生らに惜しまれた。かれがナチスという巨悪に加担した事実は消せないけれども、かれ自身はごく一般的な人間だった。
著者は子どものころ、祖父の経歴について何も知らず、イノセントに育ったと思っていたが、実際にはかれが育ったオクラホマにも世間に忘れられがちなジェノサイドの歴史がある。ジョージア州など南東部からオクラホマまで強制移住を命じられて多数が亡くなったチェロキーら先住民の経験や、「ブラック・ウォール・ストリート」と呼ばれるほど栄えていた黒人街が白人暴徒によって徹底的に破壊され多くの黒人が虐殺されたタルサ虐殺の例などに加え、そもそもナチスがユダヤ人から権利を剥奪したニュルンベルク人種法はアメリカ南部のジム・クロウ法を参考としたものだった。著者がこの本の調査について周囲に話すと、多くの人から「実は自分の家族も昔奴隷所有者だった」といった秘密を打ち明けられた。
これまでさまざまな人にインタビューしてかれらのプロフィールを書いてきたジャーナリストが、祖父の教え子だった人たちを含め多数の関係者や資料にあたり家族がずっと隠してきた秘密の真実を明らかにする渾身の一冊。普通の人がどうしてナチスのような悪に加担してしまうのか、という問題にも示唆を与えてくれる。