Abigail Shrier著「Bad Therapy: Why the Kids Aren’t Growing Up」
前著「Irreversible Damage」が『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇』のタイトルで日本で出版される直前に科学的な誤りやトランスジェンダー差別を助長することが批判され発売停止になった著者の新刊。精神医療や教育が「性転換ブーム」を子どもたちのあいだに巻き起こしている、という前著の主張をさらに広げ、学校が押し付けてくるカウンセリングや社会情操学習(SEL)、そして子どもに好かれようと自らの権威を確立しようとしない親たちのせいで、間違った診断や処方が横行し、子どもたちのあいだに怠けや責任逃れ、自傷行為、鬱などが蔓延していると主張する。
本書が対象しているのは本格的なトラウマを経験したわけでもなく、深刻な精神疾患を患っているわけでもない、大多数のごく普通の子どもたちである、という言明は、「昔からごく少数存在する本当の性同一性障害の子どもではなく、教育やピアグループの影響で突然トランスジェンダーを自認する大多数の子どもたちについて書いている」という前著からの言い訳と共通している。また、子どもに対する取材はなく、教育や医療に不満を持つ親たちの意見ばかりが繰り返されるのも前著と共通している。
精神医療や社会情操学習に対する批判のなかには妥当なものもある。発達障害の診断が大人の都合により乱発されている、脳がまだ発達中の子どもたちにあまりに安易に強力な精神薬が処方されている、教室の中の権力関係に無頓着に家庭の事情や子どもたちのトラウマに踏み込む教師がいる、自傷行為や摂食障害、麻薬使用などについてのスティグマを除去するための取り組みがそれらを正常化してしまう、など、個別にはわたしも納得がいくものや、同意しないまでも真摯な問いかけだと感じるものもある。しかしトラウマ治療や社会情操学習について親たちの恐怖を煽るような記述のなかには、わたしがよく知る事実と全く反したことが多々書かれていて、著者が前著で教師やカウンセラーが子どもたちをトランスジェンダーに仕立て上げようと企んでおり、すぐに医療的措置を押し付けられるように書いているのと同じく、悪質な扇動に見える。
親は子どもの自立を支えるためにもっとマネージされたリスクを与えるべきだ、という部分で唐突に日本の「はじめてのおつかい」が登場し、比較文化の専門家とかいう人が日本では学校でも意図的に教師から見えない場所や小さな怪我をする危険のある場所を作って子どもたちが自律的な集団を作ることを支えている、という話が。え、そうなの?
前著が上品な体裁を整えただけのヘイト本であることや、本書もトラウマ治療や社会情操学習についてのおかしな記述が多く、「社会情操学習」という用語が実態とはかけ離れた危機として「批判的人種理論」「ジェンダー・イデオロギー」に次ぐ犬笛として保守運動による公共教育への攻撃に中流家庭の母親たちを動員するためのプロパガンダとして機能しはじめている(Laura Pappano著「School Moms: Parent Activism, Partisan Politics, and the Battle for Public Education」参照)こともあり、本書を紹介すべきかどうか正直迷った。しかしどうせ前著のファンが騒ぎ出すだろうし、トランスジェンダー医療の実態を知らない人が前著に騙されたようにトラウマ医療や社会情操学習について知らない人が騙されるおそれが強いので、批判的な文章を出しておく意義はあると思って紹介した。