Stephanie Foo著「What My Bones Know: A Memoir of Healing from Complex Trauma」
マレーシアから米国に移住してきた中国系移民家庭で愛を受けずに育ったジャーナリストの著者が、複雑性PTSD(CPTSD)の診断を受けたことをきっかけに自身の快復と社会の啓蒙のために体当たりで調査してきたことを振り返る自叙伝。(複雑性)トラウマについての本はこれまでにもたくさん読んできたけれど、この本はいろいろすごい。
著者の両親はマレーシア出身の中国系移民。幼いころから両親ともに著者に対して身体的・精神的な暴力を繰り返し、しまいにはまだ十代の彼女を置いてそれぞれ家を出てしまう。通っていた学校は教育熱心なアジア人家庭の子どもが多かったこともありレベルが高く、おかげで著者は進学し公共ラジオの名物番組「This American Life」に関わるなどラジオジャーナリスト・ポッドキャスターとして夢のような仕事に就くことがでいるけれども、私生活ではコントロールできない激しい感情の起伏に悩み、豊かな人間関係を築けずにいた。
そういうなか著者はカウンセラーから複雑性PTSDという自らの診断を聞く。一時的な事故や犯罪、災害などを経験したことによって起きる通常のPTSDに対し、命の危機を感じるような状況に継続的に置かれた結果として生じる複雑性PTSDは感情の調節不良、人間関係の問題、自己否定感などがその症状で、治療と快復がとても困難だとされている。PTSDについては知っていたけれども複雑性PTSDについて知らなかった著者はジャーナリストの立場を利用して著名な研究者にインタビューするなど調査をはじめ、トラウマとそこからの快復についての知識を得るとともに、自分の癒やしも求めていく。
本書が「すごい」理由はいくつかあるが、その一番のものは複雑性PTSDの研究をしている心理学者に自分の状況もさらけ出しつつジャーナリストとしてインタビューしたことをきっかけに、その研究者と共同で「6ヶ月間の著者のセラピーを行い、それを録音する、データは著者がラジオやポッドキャストを含め自由に使っていい」という取り組みを行ったこと。毎回のセッションが終わると著者は録音データをAIを使って文字化し、それをGoogle Driveに入れて共有する。著者と研究者がそれぞれ共有された文書にコメントを入れたりそれに返したりすることで、毎回のセラピーがより深まる。本書はそうした生のセラピーからの引用も。個人的な話、わたしが11年間セラピーを続けていたカウンセラーが数ヶ月前に引退したばかりなんだけど、こんな画期的なセラピーをやった著者がうらやましすぎる。
あと人間関係がうまくいかない悩みを抱えていた著者がなぜか出会えたパートナーがありえないくらい理解があって、彼の家族もありえないくらい優しくて、なにこれ本当の話?イマジナリー・ボーイフレンドなんじゃない?と疑うくらい。自分はこういう過去があってこんな言動をすることがあるけどカウンセリングを受けて変わろうとしている、と言う著者に「それくらいなら大丈夫、変わりたいなら応援するけど今のままでもいいよ」という彼も、家族に愛されてこなかった著者を受け入れて本当の家族になろうとする彼の家族も、そんな人存在するの?というレベルですごすぎる。かれらが登場した時点から本書を読み終わるまで、「お願いだから豹変しないで!このままハッピーエンドで終わらせて!」と祈るような気持ちになった。
さらにすごいと思ったのが、著者の両親についてもそのさらに前の世代まで遡ってアジア人移民コミュニティが抱える世代間トラウマについて調べていること。かれらはマレーシアで生きた華僑で、日本軍がマレーシア(マラヤ)を占領した際には中国人は反日であるとして迫害されたり、日本の敗戦後にイギリス軍に対する抵抗運動・独立運動に関わるなどした。著者と同じ学校に通っていたほかのアジア人の子どもたちの家族も、旧南ヴェトナムから難民として逃げ出す際に家族が乗っていたボートが沈んで亡くなるなど、それぞれ戦争や圧政、内戦の歴史を家族に抱えていた。そしてその経験は、なんとしてもアメリカで成功しなければいけないという子どもに対する過剰な期待と、自分たちはこんなに酷い状況を生き延びてきたのだからアメリカ生まれの恵まれた子どもたちはもっと努力すべきだという要請につながる。
著者は学校に通っていた当時そこで教師をしていた人たち(ほとんどが白人)にインタビューしたが、かれらは自分の学校に通っていたアジア人の子どもたちの多くが家で虐待されていたことを全く意識していなかった。アジア人の子どもたちの多くが親から良い成績を取るようなプレッシャーを強く受けストレスを感じていたことは知っていたけれども、虐待があったなんて全く知らなかった、と。移民の親たちは教育熱心なのであって、つまり子どもの成功を願う良い親だというのがかれらの認識。精神的な問題を抱えて自殺未遂を起こしたり薬物にはまる子どもがいても、かれらは親の過剰な期待に押しつぶされてしまったのだと理解して、その過剰な期待が多くの場合身体的・精神的な暴力によって押し付けられていることには気づかなかった。
本書の最後では、(複雑性)PTSDの症状は感情や人格が壊れてしまったのではなく進化的に獲得された生存戦略なんだという考え方を引いて、コロナウイルス・パンデミックという危機的状況において自分がPTSDのおかげで身につけたさまざまなスキルが役に立った、という話をしている。このあたりは最近のトラウマをめぐる議論でよく見るようになってきている主張だけれど、CPTSDのある人たちが抱える感情制御の困難を危機的状況における強みととらえる「blunted and discordant affect sensitivity syndrome」(BAD-ASS)という言葉があるのをこの本ではじめて知った。バッドアスいいじゃん。