Scout Bassett著「Lucky Girl: Lessons on Overcoming Odds and Building a Limitless Future」

Lucky Girl

Scout Bassett著「Lucky Girl: Lessons on Overcoming Odds and Building a Limitless Future

中国出身でアメリカ人家庭に養子として受け入れられ、パラリンピックなどパラスポーツでのアメリカ代表陸上選手として活躍している著者が、ほかの障害のある女性や人種的マイノリティの人やその他のあらゆる困難に直面している人たちに向けた人生のアドバイス本。

中国・南京で生まれた著者は、赤ちゃんのとき火事で大火傷をして片足を失い道端に捨てられていたところを保護され、7歳で海外から訪れたアメリカ人夫婦の養子になるまで孤児院で過ごした。足の切断手術はきちんと行われなかったため激痛が走るだけでなく義足をつけることも難しく、ベルトやテープで固定した義足であるき出したのは6歳。孤児院の建物から一歩も出ることができず、本もテレビもないなか、一日一食の食事だけを与えられる生活で、同年代の子どもと比べて成長が著しく遅れていた。彼女を親身になって支えてくれていた年上の女の子は施設の年齢制限によりある日突然追い出されていなくなるし、本書では詳細は書かれていないけれどもどうやら子どもたちは何らかの労働をさせられていた様子。中国語の名前には「福」の字が含まれていたのに不幸そのものの生活だった。

そういう彼女が7歳のとき、アメリカ人夫妻の養子となりミシガン州に連れて行かれたことを幸運だという人もいるだろうけれど、彼女は当初そうとは感じなかった。苦しいながらも慣れ親しんだ生活から突如引き離され、新しい名前と家族を与えられ、言葉もわからないまま、ほとんど白人しか住んでいない地域で宗教的な両親により宗教系の学校に入れられたけれど、目に見える障害のある子どももアジア人の子どももほかにほとんどおらず、同年代の子どもたちには受け入れられなかった。ようやくまともな義足を手に入れ、ほかの子どもたちに混じってサッカーチームに加わるも、どういうわけだか試合には一度も出して貰えない。チームスポーツでは出番を得られないと思った彼女が一人でもできる競技として陸上をはじめると、障害のあるアスリートを支援する団体の目に止まり、ブレードと呼ばれる競技用の義足をもらってさらにのめり込む。

大学はもっとほかのアジア人に会いたいと思い、カリフォルニア大学ロスアンゼルス校(UCLA)に進学。しかしルームメイトとなった中国系の子が部屋に持ち込んだ炊飯器を知らないなど中国の文化や言葉をほとんど忘れてしまっていた彼女はほかのアジア系の学生たちに溶け込めない。また宗教的に保守的な価値観で育てられた彼女は最初に取った生物学の授業で創造説が全否定されてショックを受けたり、堂々と生きている同性愛者と出会って偏見を修正したりと大きく価値観を揺るがされ、信仰を大切にしつつ異なる価値観の人たちやかれらの権利に対する理解を深める。

著者は自身のことを徹底してアスリートとして語っていて、トレーニングに対するストイックな姿勢、競技における勝利と敗北の経験とそれらから学んだことなど、パラスポーツのアスリートをそれ以外のアスリートと別枠で扱うような価値観を軽く飛び越えている。その一方で、障害のある女性の身体や性に対する社会の偏見や障害のある女性が経験するボディ・イメージの問題、パラスポーツの扱いの低さやその中でもとくに女子パラスポーツが男子に比べて資金面でも競技の機会でもさらに不利な点などについても、自身が経験した挫折や悩みを通して訴えていく。

いっぽうアドバイスについての部分では「絶対に諦めるな、うまく行かなかったらアプローチを変えて挑み続けろ」とか「ネガティヴな人は周囲に置くな」とか、いかにもアメリカの白人主流文化で育った人的な感じ。自分の経験を元にさまざまな困難にぶち当たっている人にアドバイスするという形なのだけれどその「困難」として「人種差別を受けている」と「片思いの相手に振り向いてもらえない」が同列になっていたり、女性や人種的マイノリティの人たちのダイバーシティは考慮されるのに障害者は無視されている、という、それ自体白人男性が言いがちな論法がまずい上に、障害者差別に反対している部分で「障害があるというだけで認知能力が欠けているわけではないのに」と、認知障害や知的障害のある人をバッサリ切り捨てたりと、疑問を感じる部分も多い。ただ、障害のある著者が「障害を乗り越えた」話ではなく「普通にアスリートとして自分の限界に挑んでいる」ことで読者にインスピレーションを与えようとしているのは新しいかも。

それにしても、義足で旅行しているとそれぞれの空港で必ず一度は彼女のことを従軍中に負傷した退役軍人だと勘違いした人が寄ってきて「国への貢献ありがとうございます」と感謝してくる(そして「赤ちゃんのころ火事で片足を失っただけです」と説明すると明らかにがっかりされる)という話、ありそうな話でうざすぎるわ… どうして空港や飛行機の中でアメリカ人は軍人に突然感謝したくなっちゃうんだろう。