Rachel L. Swarns著「The 272: The Families Who Were Enslaved and Sold to Build the American Catholic Church」

The 272

Rachel L. Swarns著「The 272: The Families Who Were Enslaved and Sold to Build the American Catholic Church

19世紀のアメリカでカトリック教会が多数の大学を設置し影響力を強めた背景に、1838年に多数の黒人奴隷を売って得た売却益があったことを指摘し、奴隷とされた黒人たちがおかれた境遇やかれらの人生、そして奴隷売買についての当時のカトリック教会内部での議論など豊富な資料をもとに掘り起こす本。

17世紀、現在のメリーランド州に移り住んだカトリック系移民たちは、貧しいヨーロッパの移民やアフリカから強制的に連れてきた黒人たちを煙草や小麦を生産するためのプランテーションで働かせていた。当初はのちに一般化するような家畜的な奴隷制度ではなく一定期間の労働を終えたら自由になる年季奉公制度が主流だったが、人種イデオロギーの発達とともに、一定期間で自由を得る白人移民と生涯他人の所有物となる黒人奴隷に分かれていく。

メリーランド州への移住を進めていたカトリックのイエズス会は多数の黒人奴隷を所有していたが、土地が痩せていたことや司祭たちに奴隷を管理する能力がなかったこと、またプランテーションで得た収入の使途がきちんと処理されなかったこと、都市部で信者を拡大させたいのにプランテーションは田舎にあって不便だったことなどが重なり、イエズス会のなかでは「奴隷制は正しいのかどうか」ではなく「奴隷所持はペイするのか」が長らく議論された。かれらのあいだでは、黒人奴隷たちはすぐサボるし、勝手に休暇を取ったり食糧や備品などを奪い、隠れて自分たちだけの畑を作って生産物をこちらに寄越さない、プランテーションが生み出す利益より奴隷たちを住ませ食事させるコストの方が高いのではないか、とか、いやかれらは自分たちの元にいることで敬虔なカトリックになっておりかれらの魂を救うためには放り出してはいけない、というような、お前らなに勝手なこと話し合ってんだよ的な議論が続いていた。

そういうなか、19世紀には北部で奴隷解放運動が広まると同時に、南部では砂糖や綿花を育てるプランテーションがさかんになりより多くの労働力が必要となった結果、黒人奴隷の価格が暴騰した。産業化した南部のプランテーションは病人や老人、子どもを含めた黒人奴隷の労働力を極限まで搾取する効率化を徹底し、かれらの扱いはより過酷になっていた。ジョージタウン大学をはじめとする教育機関の設置・拡大に注力していたイエズス会が1830年代に経営危機に陥ると、所有していた奴隷を売却することで危機を脱出する。

本書ではイエズス会とジョージタウン大学によって売却され多くが南部に送られた272人の黒人奴隷たちのなかでも、1812年の戦争でイエズス会の財産を守ったことで「あなたたち家族を引き離さない、今後何があっても売り渡さない」と約束されていたマホーニー一家に注目、かれらが司祭たちに裏切られ離散させられ、それでも敬虔なカトリックとしてふるまうことで白人たちから「理想的な奴隷、すばらしい忠誠心」と称賛され、それを通してさらに多くのものを失うことを回避した歴史などを紹介。白人司祭たちの勘違いや傲慢さと厳しい状況を生き延びできる範囲で家族を守った黒人たちの精一杯の抵抗の対比が痛々しい。一方、教会のなかにも奴隷とされた人たちの人間性を尊重し、かれらがプランテーションではなく自分たち専用の畑を別に作っているというなら、いっそ土地を貸して自由に農耕してもらい小作農のようにそのうち一定の割合を納めてもらえばいいのでは、という柔軟な発想をした司祭もいたという話はおもしろい。ただしかれは教会の中では地位が低く、黒人たちを奴隷として扱うことには抵抗できなかった。

2016年に著者がジョージタウン大学によって売られた272人の黒人奴隷たちについてニューヨーク・タイムズ紙に記事を寄稿すると大きな反響を呼び、ジョージタウン大学だけでなくほかの多くのアメリカの大学や教会などのあいだで過去にそれらの組織が奴隷制にどのように関わっていたのか、奴隷とされた人たちの子孫に対してどのような責任を果たすべきか、という議論が高まった。本書はそれ以降著者が続けてきた調査やニューヨーク・タイムズ紙に掲載されてきた続報をまとめたもので、読み応えがすごい。