Psyche A. Williams-Forson著「Eating While Black: Food Shaming and Race in America」

Eating While Black

Psyche A. Williams-Forson著「Eating While Black: Food Shaming and Race in America

アフリカ系アメリカ人の食文化や食生活に対する人種差別的な偏見や監視・干渉についての本。黒人女性が電車の中で食事をしている画像がソーシャルメディアで拡散された件や公園でバーベキューを楽しんでいた黒人家族が警察に通報された事件から、「子どもの肥満」についての真面目なメディアの記事やローカルでオーガニックな食を推奨する運動まで、黒人の食文化や食生活はどこか間違っているものとして捉えられ、人種間の健康格差の原因として黒人自身の責任を問う根拠とされるほか、嘲笑や取り締まりや、あるいは「善意」による指導や教育の対象とされる。本書はそうした扱いの背景にある反黒人主義的な価値観を暴くとともに、黒人たちが自分自身の健康や伝統の継承や生き方や楽しみのために自分たちの食生活や食文化を考えていくきっかけとして意図されている。

著者が紹介する2008年のワシントンポストの記事では、ラトリーシャという12歳の黒人の体の大きな女の子が「キングコング」というあだ名で呼ばれていじめられる状況から逃れるため、減量に挑戦したエピソードが語られた。彼女の住む地域にはファストフードの店はたくさんあるものの新鮮な野菜や果物を置いている店はなく、麻薬を密売しているギャングが縄張りとしているため子どもたちが放課後に公園で遊ぶことを多くの親が禁じている。そうした問題を解決するために地域が提供する減量プログラムでは、ラティーシャのような子どもたちにエクササイズの機会とともに栄養についての教育が与えられる。彼女は教えられたとおりに他の子どもたちがピザを食べているときに一人だけサラダを食べようとする。また彼女の家では毎月一回親しい人たちが集まってソウルフードを食べるのだけれど、フライドチキンやマカロニ&チーズやポテトが並ぶ食卓で「トラックドライバーではなくレイディが食べる量だけお皿に乗せなさい」と指導される。

著者はこうした記事に対して、そもそも学校で起きているいじめに対していじめられている子どもに変わるよう要求する周囲の問題や、彼女が体重を増やしてしまった原因に食生活だけではなく医学的な理由がないのかどうか、あるいはもし彼女が実際に過食しているのだとしてその背景にメンタルヘルスの問題がないのかなど誰も気にしていない様子なこと、記事中の描写から彼女が実の父親や母親と暮らしていない様子なことや、複数の別の日に撮られたはずの写真において彼女が同じシャツを着回している(もしかしたら十分な服を持っていないかもしれない)こと、仮に彼女の食生活に問題があったとして月に一回しか振る舞われないソウルフードがその中心的な原因ではないはずなのにまるでそれが問題であるかのように描写されること、そして彼女に対する食べる量のアドバイスがジェンダーに基づいていることなど、記事が非批判的に伝えている内容の多くに人種や階級、ジェンダーなどの問題が潜んでいることを指摘する。

ソウルフードがアフリカ系アメリカ人の健康問題の原因である、という主張は広く目にするけれども、アフリカ系アメリカ人がみな同じような食事をしているわけではないし(著者がソーシャルメディアでインフォーマルに行った「感謝祭にあなたの家庭ではなにを食べますか?」というアフリカ系アメリカ人を対象とした調査の結果がとてもおもしろい)、食が人々の文化的な営みやアイデンティティと深く結びついており、それらも人々の健康に影響する重要な要素であることを考えれば、食と健康の関連を栄養素やカロリーだけで判断することはできない。「奴隷制の時代、黒人は劣悪な食材しか与えられなかったからそれをなんとかしておいしく食べようとソウルフードを生み出した、しかし今ではもっと良い食材が手に入るのだからソウルフードをより健康的に変革すべきだ」という主張が、一部の黒人や「善意ある」白人からも上がるなか、伝統的なソウルフードは悪者にされ、それを好んで食べる人たちのハビトゥスは否定される。黒人たちが食文化や食生活によって見下され、不健康なのは自己責任と言われるるいっぽう、差別や貧困によるストレスや住居や職場における汚染物質被爆、不公平な医療、その他人々の健康に影響を与えるさまざまな要因は不可視化される。

著者はまた、食材を「どこで買うか、どう入手するか」においても偏見がまかり通っていることを指摘。地元で採れた新鮮な野菜をファーマーズマーケットで直接生産者から買うのはもちろん素晴らしいことかもしれないけれど、実際にファーマーズマーケットに行ってみるとほとんどの農家は白人で、白人が好んで消費する野菜が多く売られているし、その値段も安くはない。奴隷解放の際アメリカ政府が奴隷とされてきた黒人たちに約束した「自由に耕せる(ネイティヴアメリカンから奪った)土地」は結局与えられず、それらは白人たちに与えられ、その後も助成金が白人農家にだけ代々与えられてきた結果が現状だ。またファーマーズマーケットは多くの場合出店できる数が決まっていて、その品揃えも管理側が制限できるので、黒人の零細農家がそこに入り込むのは難しい。その一方でウォルマートやダラーストア(100円ショップみたいなやつ)が食料品も扱い出したことによって貧しい人たちが安く食料を買うことができるようになったけれども、そうした店で食料品を買う人たちは低い階層の人間としてだけでなく、大規模産業農業と国際資本主義を支える愚か者としても見下される。そういえば以前在米クラスタのみなさんに大人気のTrader Joe’sの創業者の本を紹介したことがあるけれど、TJこそ貧困層を見下し所得の高い消費者をターゲットとして成功した店で、TJのショッピングバッグを使い回すのが中流階級においてトレンディとみなされているのもそうした価値観と繋がっていると著者は指摘する。

この本で書かれたことはアフリカ系アメリカ人だけでなくその他の黒人や非白人、あるいは白人の貧困層や移民など多くの人たちが共感できる内容だと思うし、実際に著者が出会ったアフリカ系アメリカ人以外の人たちが自分たちの食文化や食生活について「恥」の感情を持たされている例が紹介されているけれども、著者がこの本を書いたのはアフリカ系アメリカ人の読者のためであり、著者はアフリカ系アメリカ人コミュニティにおける食文化・食生活と健康の議論において社会的公正や文化の視点を重視するよう呼びかけている。ちなみに、著者の訴えにはすごく共感するのだけれどその一方で、関係ない話だけど、数日前は絶滅危惧種のウナギが日本でアホみたいに大量に消費される日だったけれども、種保護や動物倫理の問題が絡んできたときに「他人の食」に対してどう関わっていけばいいのか、という本書では触れられていない問題についても少し考えている。