Maia Szalavitz著「Undoing Drugs: The Untold Story of Harm Reduction and the Future of Addiction」

Undoing Drugs

Maia Szalavitz著「Undoing Drugs: The Untold Story of Harm Reduction and the Future of Addiction

80年代のAIDS危機に対抗してアメリカで広まったハームリダクション運動の歴史についての本。著者は当時ドラッグを使用していた過去のあるジャーナリストで、ハームリダクションという言葉が生まれるより前、のちにそう呼ばれる運動の先駆者的な人から使用済みの注射器を洗浄する方法とその重要性を教えてもらいHIV感染を逃れることができた人。「麻薬との戦争」を掲げる政府やそれに追従するメディアによって攻撃され、麻薬常用者の命を救うよりもかれらを見殺しにして見せしめにした方がいい、麻薬をより安全に使用する方法を提供することは麻薬使用をさらに広めてしまう、という世間のモラル・パニック的な反発を受けつつも、逮捕の危険を冒しつつハームリダクションの考えを広めていった人たちのストーリーが語られる。

多数の調査によってハームリダクションが麻薬使用を増やすという因果関係は存在しないことが示されるとともに、その考えは徐々に公衆衛生当局の支持を得て、現在では麻薬使用者の命と健康を守るだけでなく、さまざまな分野に応用され、コロナウイルスパンデミックへの対策にも援用されている。社会的に疎外された目の前の少数の人たちの命を救うためにはじまり、ついにはすべての人類を襲う世界的なパンデミックへの対抗手段の一つにまでなったこの思想と実践の歴史を紹介したこの本は、公衆衛生について考えるための必読書だと思う。

ハームリダクションと呼ばれるようになった医療政策は、もともとヨーロッパのいくつかの国で実践されていた。それは麻薬使用を犯罪や道徳的な罪とみなしてやめさせようとするのではなく、麻薬使用や麻薬依存に関連した社会的な問題を解決しようとするもので、たとえばオピオイド依存のある人に医療用オピオイドを処方することによって、依存者が地下市場に出入りしたり高価な違法薬物を買うために犯罪を犯したりするのを予防するものだった。依存症治療を受けたい人は受けられるべきだけれど、それより先に住居や収入を確保するなど生活を安定させなければ治療は非現実的だ。その後AIDS危機が勃発し、注射器の使いまわしが感染拡大の最大の要因とわかったことで、ニューヨークの麻薬使用者のコミュニティとゲイ男性を中心としたACT-UPの活動家たちが協力し、注射器の配布と使用済み注射器の回収の運動をはじめる。当初は違法とされていた活動は、勇気ある活動家たちが逮捕され裁判で争った結果、緊急避難の法理によって合法だと認められることとなった。

この本ではハームリダクションの運動がどのように広がっていったのか、内部でどういう意見の対立がありどのような決着になったのか、などの歴史とともに、人種差別に基づいた「麻薬との戦争」や麻薬使用者の社会的孤立と道徳的断罪を推奨する「厳しい愛」の論理、そして近年のオピオイド危機をもたらした、そしてそれを悪化させている政治的な失敗など、アメリカの麻薬に対する政策と社会的風潮がどれだけの人を殺し、家族を奪い、あるいは自由を奪ってきたのか書かれていて、麻薬と公衆衛生、依存症治療をめぐるさまざまなトピックが結びついてくる。わたし自身、20年ほどまえからハームリダクションの運動に関わっていて、コンファレンスで発表したり、特に性暴力サバイバー支援運動におけるハームリダクションについて講演もしているのだけれど、そんな内部の人間にとっても学ぶことが多かった。