Leigh Goodmark著「Decriminalizing Domestic Violence: A Balanced Policy Approach to Intimate Partner Violence」
「ドメスティック・バイオレンスを非犯罪化する」という一見ショッキングなメインタイトルだけど、サブタイトルにあるように「バランスが取れたアプローチ」というのは本当。わたしが取り上げる本としては少し古め(2018年)だけど、内容はいまでも通用する。
ドメスティック・バイオレンスを「取るにたらない家庭内の私的なこと」から「警察が対応すべき犯罪」に変えたのは第二波フェミニズムの成果の一つ。しかし警察の介入が必ずしも安全をもたらさないことは、はやくから黒人女性やその他の非白人女性たち、移民、クィアやトランスの人たちが訴えてきた。加害者が逮捕され仕事を失ったり強制送還されると被害者やその子どもたちが露頭に迷うことも少なくないし、人種やジェンダー・セクシュアリティへの偏見から被害者のほうが誤認逮捕されることも少なくない。そうでなくとも警察が来たことで加害者の暴力がさらにひどくなったり、逮捕されないように傷の残らない方法や経済的・感情的な虐待のように法に触れない方法を加害者が学んでしまうことも。加害者が加害行為に見合った処罰を受けたとしても、刑罰はかれらに新たなトラウマと社会的困難を植え付け、将来の加害の可能性をさらに増やしてしまう。
ドメスティック・バイオレンスの犯罪化は、加害者を処罰することで加害者本人の再犯を防ぐだけでなく、社会にドメスティック・バイオレンスが許されないというメッセージを送り、新たな加害者が生まれることも防ぐことを目的としている。しかし現実にそうしたメッセージは必要なところに届いていないし、ドメスティック・バイオレンスも減っていない。犯罪化には大した効果があるようには思えず、より厳しく処罰しようとする政策は結局被害を受けている黒人女性やクィア&トランスの人たちをさらに追い込んだり加害者と誤認させて罰することになるだけなのだけれど、さすがにいまさら「非犯罪化します」なんて真逆のメッセージを発するわけにもいかず、行き詰まっている。
著者はこうした現状に対して、隠されたトラウマや貧困などの社会的困難の手当て、修復的司法の採用、刑務所人口を減らして特に危険な加害者の更生に集中すること、その他さまざまな方策を組み合わせて行き詰まりを突破することを訴えており、「え、タイトルと違って非犯罪化主張してないじゃん」って肩透かしを受けたけど、バランスが取れているというよりは全部盛り込んでみましたみたいな感じ。まあこれらの方策のどれか1つだけを実行しても成功するとは思えないので全部やっちゃえってのは正しいのだけど、実現難しいよねえ。