Jennifer Hochschild著「Genomic Politics: How the Revolution in Genomic Science Is Shaping American Society」

Genomic Politics

Jennifer Hochschild著「Genomic Politics: How the Revolution in Genomic Science Is Shaping American Society

遺伝子研究の発展が社会に与える影響が拡大するなか、遺伝子技術をめぐる政治的な構図の発達を探ろうとする本。ハーヴァード大学の政治学者である著者は、ほかのさまざまな政治的課題に比べ、遺伝子技術の是非をめぐる議論においてはリベラルと保守への分極化が進んでおらず、ほかの多くの問題においては対立する政治的立場の人たちが同じ側についたり、ほかの問題において共闘している人たちが対立したりしているとする。

本書では著者が2011年と2017年に行ったアメリカ人の遺伝子学に関する知識や態度の調査を主な情報源としている。調査ではとくに、人種的差異に基づいた医療、DNA分析による祖先の調査、犯罪捜査のための遺伝子バンク、胎児の遺伝子検査及び編集、の4つの遺伝子技術やその応用を例にあげ、それぞれについて参加者の立場を調べている。そして得られた回答を、「ヒトの表現型に対する遺伝子の影響を大きく見積もるかどうか」「遺伝子技術に対して楽観的か悲観的か」を2つの軸とした象限にマップすることで、熱狂的(影響大、楽観的)、懐疑的(影響大、悲観的)、希望的(影響小、楽観的)および拒絶的(影響小、悲観的)の4つの集団に分ける。

Genomic Politics fg. 1.3

著者はこの構図を使い、4つの集団がこれまでのさまざまな政治的論点における硬直化したリベラル対保守の構図に当てはまらないことを示すのだけれど、多様な技術やその目的をごちゃまぜにして「遺伝子技術に対する態度」とまとめてしまったためにそれぞれの集団が分類として意味を成さなくなってしまっているような気がする。たとえば奴隷制によって祖先から切り離された黒人たちがDNA検査によってルーツを探るのと、白人至上主義者が自分の血統的純粋さを証明するためにDNA検査を受ける(そして大抵自分の先祖に黒人やユダヤ人がいたことを知り打ちのめされる)のはまったく異なる行為だと思うのだけれど、それを「遺伝子技術に対する期待」とひとまとめに解釈してしまっていいのか。遺伝子技術に対する単純な賛否とは別にその理由に耳を傾ければ、ごくありふれたリベラル/保守や黒人/白人という構図が変わらず有効なように見える。

また、それぞれの技術については質問のしかたによって回答に大きな影響が出ることは著者も認めていて、どの程度しっかりした考えなのかも明らかではない。たとえば「人種的差異に基づいた医療」については「白人には効かないけれど黒人には効く」薬の承認についての質問となっているけど、これまでの医療が主に白人男性を対象とした治験によって成立していて(そして遺伝子を使った研究もその傾向は続いていて)、従ってこれまで行われていた医療そのものが「白人男性に効く医療」であった、という前提を説明せずに、いきなり「黒人だけに特別に利益があるもの」として提示されるのは、正しい聞き方なのか。

本の最後で著者は自身の立場は「熱狂的」だと表明しつつ、非白人や障害者、社会的公正に関わる人たちに遺伝子技術に対する否定的な主張が多く、優生主義や警察による遺伝子を使った監視強化など非白人や障害者たちの懸念は共有するとしている。まあごく当たり前のところに着地するわけだけど、本題の部分が弱いせいか、Kathryn Paige Harden著「The Genetic Lottery: Why DNA Matters for Social Equality」ほどおもしろいとは感じなかった。