Gregory D. Smithers著「Reclaiming Two-Spirits: Sexuality, Spiritual Renewal & Sovereignty in Native America」

Reclaiming Two-Spirits

Gregory D. Smithers著「Reclaiming Two-Spirits: Sexuality, Spiritual Renewal & Sovereignty in Native America

アメリカ先住民の各文化に伝統的に存在した多様なジェンダーやセクシュアリティや、それらがヨーロッパ諸国による植民地主義によって排撃されてきた歴史を綴りつつ、LGBTやクィア、Two-SpiritやIndigequeer、あるいはそれぞれの文化に特有のアイデンティティを自認し、自分たちの文化をも侵食した欧米社会のキリスト教的・植民地主義的価値観に抵抗する現代の先住民アクティビストやアーティストに注目する本。著者は先住民ではない(確認はとれていないけどおそらく白人)のオーストラリア人歴史家で、これまで欧米の人類学者や歴史学者がどれだけ先住民文化を捻じ曲げ、植民地主義を正当化する論理を提供してきたかを考えると懐疑的に読みはじめたのだけれど、書かれている内容は現代の専門家としてちゃんとしていた…ように思うけど、わたし自身が先住民でも先住民史の専門家でもないから、少なくともわたしがこれまで見知りしたこととは矛盾せず、わたしを騙す程度にはちゃんとしていた、くらいに思ってください。

本の2/3くらいが15世紀から19世紀の話なので、欧米側に残されている記録からかれらがアメリカ先住民たちをどのように見ていたのか、それがどのようにして先住民を奴隷化し土地を奪い文化を壊滅させるような政策に繋がっていたのか、という内容が延々と続いて、けっこうきつい。侵略側の史料とはいえ当時のヨーロッパ人たちは自分たちが行っているのは悪いことだとか隠さなくちゃいけないという意識がなかったので(むしろキリスト教と文明を伝える良いことをしていると思っていた)、逆に信用性が生まれている不思議。そのうち、とくに南北戦争と第二次世界大戦という2つの大戦争の戦後の時期に先住民指導者たちの側に「自分たちは文化的な民族であると証明しなければ」という意識がはたらき、結果として伝統的に多様なジェンダーやセクシュアリティを認めていた社会のキリスト教化が進んだ。その結果、現代のクィアやTwo-Spiritを自認する先住民たちは、自分たちのコミュニティから「同性愛は西欧文化だ」と批判され、伝統文化を守るためには同性愛やトランスジェンダーは認められない、それこそ脱植民地化である、と言われてしまう。

それは同性婚の合法化をめぐる議論に典型的で、もともとキリスト教主流社会のほうが同性愛やトランスジェンダーに厳しく刑罰の対象となっていたはずが、1990年代以降の急激な社会の変化により、2015年にはアメリカ全土で同性婚が合法化されるまでになった。しかし主権国家である部族政府はアメリカ憲法には拘束されないので、多くの先住民居住区では同性婚が認められないままだし、性道徳や家族の形が崩壊しつつある主流派社会から伝統文化を守るという理由で、わざわざ「同性婚を禁止する」という法律が多くの部族政府によって制定された。先住民のあいだでもクィアやTwo-Spiritの人たちだけでなく多くの人たちが同性愛やトランスジェンダーに対する差別を止めるよう呼びかけているものの、伝統社会においてものごとを変えるのは時間がかかる。植民地主義以前の「伝統」と以降の「伝統」の対立というのではなく、望ましい人々のつながりやコミュニティのあり方という「伝統」に訴えるかたちで、ゆるやかに変化は起きている。

また本書は、クィアやTwo-Spiritの人たちが1969-71年のアルカトラス島占拠から2016年のNoDAPL運動(ダコタアクセスパイプライン反対運動)まで、さまざまな先住民たちの闘いの先頭にも立っていることも記していて、わたしの知り合いのアクティビストやアーティストも登場しているのでちょっとうれしい。でもタイトルがなんで「Two-Spirits」と複数形になっているのか疑問だし、表紙だけ見た人に誤解させるのでそこだけは直してほしい。