Francis Su著「Mathematics for Human Flourishing」
過去にはアメリカ数学学会の会長も務めた中国系アメリカ人の数学者が数学の営みがもたらす人生の豊かさについて語った本。数学は真・善・美といった価値観や享楽、正義、自由など人間が持つ普遍的な欲求に即した活動の1つであり、また人として望ましい徳を打ち立てる道の1つでもあるとして、数学がどのようにそれぞれの概念と結びついているのか章ごとに説明される。著者の数学への愛情がストレートでなおかつ重い。ちょうど最近読んだClare Mac Cumhaill & Rachael Wiseman著「Metaphysical Animals」の影響でフィリパ・フットの徳倫理についての議論を思い出したばかりなので、シニカルにならずにわりと刺さった。
著者はまた、「数学は誰にも平等に開かれている」という考えに対して、たしかに誰でも数学を学ぶことはできるかもしれないが、その機会は決して平等に与えられていないことを指摘する。階級や住んでいる地域によって与えられる教育やそれを受ける環境に大きな差があるばかりでなく、人種や性別によって期待されなかったり数学を学ぶのを諦めさせられるなど教師から異なる扱いを受けたり、数学科に進んでも自分と似た境遇の人がほとんどいない環境で孤立し追い出されることもある。数学の文章問題の登場人物はたいてい欧米系の名前だし、階級文化的に知らない知識が前提とされていたりもする。たとえば一時期グーグルなど多くの企業で採用試験に使われたフェルミ推定の代表的な問い「シカゴにピアノ調律師は何人いるか?」という問題にしても、そもそも調律とはなんなのか、なんのためにどれだけ調律が必要で、どのくらい時間がかかるのかなど、ある程度想像できる背景を持っていなければ答えに近づくことはできない。
この本ではそうした機会を与えられずに若いうちに犯罪に走り、刑務所に数十年の刑期で入れられた黒人男性受刑囚からの手紙が(かれの同意を受け、また本の売り上げの一部を分配する約束で)章ごとに挟み込まれている。かれは刑務所内で数学の本に出会って興味を持ち、著者のもとで数学を学びたいと連絡していらい、十年以上にわたって著者とやり取りを続けている。自由を奪われ勉強するための机すら与えられない状況でかれは、著者からの手紙を支えに数学の本を読み漁り、勉強し、数学を通して人生の豊かさを取り戻そうとしている。将来釈放されたら数学者になるという夢を持ち、ほかの受刑囚らに数学を教えるかれの存在が、著者の数学への愛情をも同時に支えている。わたしはそれほど数学愛はないのだけれど(本書に登場する数学パズルのようなものは嫌いではない––計算は苦手なので考え方次第で一瞬で解けるようなやつに限るけど)十分楽しめたので、数学が好きな人もそうでない人にもお勧めできる。