Evan Hughes著「The Hard Sell: Crime and Punishment at an Opioid Startup」

The Hard Sell

Evan Hughes著「The Hard Sell: Crime and Punishment at an Opioid Startup

製薬会社による過剰なプロモーションと安易な処方によりオピオイド依存症とそれによるオーバードーズ死が社会的問題になってしばらくたつが、そのなかで製薬企業の違法行為が裁かれただけでなく2019年には経営陣が個人として責任を問われ有罪判決を受けた初のケースであるインシス・セラピューティック社についての本。末期がん患者のための即効性のある鎮痛剤として認可を受けた(末期がん患者向けなので、長期的な依存性や副作用は問題とされなかった)薬を本来の対象ではない多数の患者向けに処方させるために医師たちに賄賂を送ったり、目的外使用であるため支払いを渋る公的健康保険や民間の保険会社を騙して支払いさせるなどした罪。

インシスは過去にジェネリック医薬品の販売などで財産を築き上げた創業者のワンマン企業で、同業他社に比べてあまりにおおっぴらに悪事をやりすぎたということはあるものの、実質的にはほかの会社と比べてそれほどひどかったわけではない。たとえば自社の商品を患者に積極的に処方してくれる医者を「専門医」として雇い他の医者たちに向けた講演などをさせてお金を回す、という、実質的には賄賂なのだけれどギリギリそうだと断定はされないような仕組みがよくあるのだけれど、インシスはそれぞれの医者について講演料として渡したお金とかれらが処方した薬の売り上げをコンピュータで表にして投資利益率を計算してしまったために、賄賂の証拠だとして裁判に提出された。また他社では営業が医師のもとを訪れたあとの記録にあとで問題となるような情報を残さないためにあらかじめ与えられた選択肢から選ぶ形が採用されているのだけれど、インシスでは個々の営業が自由に記録を残すことができるシステムを使っていたために、明らかに不適切な処方を行っている医師に売り込みを続けていることが証拠として残ってしまった。しかし他社はよりガードを固めているというだけであって、行っていることは実質的に変わらない。

最終的にインシスから賄賂を受け取って不適切な処方を繰り返した医師たちとインシス創業者、そして何人かの幹部が有罪判決を受けるのだけれど、異色なのは逮捕された幹部のうち唯一の女性でありほかの幹部に比べて明らかに地位が低く(地域営業マネージャ)それほど権力があったとも思えない人物。彼女はストリップクラブでダンサーとして働いていて同じく有罪判決を受けた幹部の男性と出会い、その場でコミュニケーションの才能を見込まれ(ということになっている)インシスに誘われた。30代になりストリップで生計を立てることに限界を感じつつあり、収入も減って生活保護の受給をはじめていた彼女は、男性のゴリ押しによりいきなり地域マネージャの地位を与えられ、またかれと付き合うことになったのだけれど、結局彼女に期待されたのは医師たちのセクハラを受け止めたりときにはラップダンスをするなどして売り上げに貢献すること。性的な賄賂を送ったと言われればそうなのかもしれないけれど、企業のなかで言われるままに違法行為に加担してしまった多数の力のない社員のなかの一人に過ぎない彼女が「幹部」の一人として裁かれ、しかも元ストリッパーだとか医師にラップダンスをしたとしてメディアに面白半分に取り上げられたのは納得いかない。

オピオイド危機をめぐってはパーデュー・ファーマ社が売り上げを伸ばすためにさまざまな違法行為を行い問題を深刻化させたとして責任を問われたが、あくまでそれは企業の責任であって、幹部は個人的に刑事責任を問われてはいない。インシスはパーデューに比べると規模が圧倒的に小さく、また鎮痛剤の販売をはじめたのはオピオイド危機がすでに拡大したあとであり、危機そのものに対する直接的な責任は大きくないとされている。しかしパーデューをはじめとする製薬会社の責任が問われるなか、ある時期までオピオイド鎮痛剤の処方の爆発的な増加を放置しておきながら、突然それを引き締め、結果的にオピオイドへの依存を抱えてしまった多数の患者たちが処方を失い違法薬物に手を出さざるをえない状況を作った政府の責任はいまだに問われていない。