Angela Chen著「Ace: What Asexuality Reveals About Desire, Society, and the Meaning of Sex」

Ace

Angela Chen著「Ace: What Asexuality Reveals About Desire, Society, and the Meaning of Sex

アセクシュアルの著者によるアセクシュアル/アセクシュアリティについての本。2年前の本だけど図書館に入ったので読んだ。バイセクシュアリティについての本を最近読んだときにも思ったけど、なんとなく分かったつもりになってたことが当事者のコミュニティ内部ではさらに細かく議論されていてはっとさせられる点も多い。

たとえばエース(アセクシュアルの人)についてはわたしは普通に性的欲望を感じない人のことだと思っていたけれど、本書によればアセクシュアリティはヘテロセクシュアリティやホモセクシュアリティと同じように性的指向、すなわち「性的欲望の対象が誰か」を示す言葉であり、性的欲望があるかないかではなく「性的欲望を向ける他者がいない=性的欲望を他者に向けない」指向のことだと書かれている。それ以外のかたちで、たとえばマスターベーションやBDSMなどのかたちで性的欲望を持つ人も(それを性的欲望と表現するかほかのなにかと表現するかは人によれ)アセクシュアルに含まれる、というのは、言われてみれば論理的にそのとおりなのだけど、考えていなかった。なるほど。

またアセクシュアルというアイデンティティについて、少なくともほかの性的指向と同じくらいには固定的で個人にとって自分のあり方に繋がるものだと意識されるけれども、ほかの性的指向と同じように決して不変でも本質的でもない、という言明にも納得。あらゆる性的指向は、また性的指向という考え方自体、社会のあり方によって形作られていて、アセクシュアルというカテゴリがいまの社会で有効なのは、その社会がリッチの言う強制異性愛社会であるとともに強制性愛社会であることと密接に繋がっている。エースが差別や偏見を受けたり不利益を被ることなく自由に生きられる世の中は、強制性愛主義とともに強制異性愛主義からも自由な社会だ。

中国出身の著者は、欧米のエースコミュニティの大半が白人の中流以上の階層の人たちで占められていることを認め、セラーノの言うところの性的スティグマ化(特定の集団を性的に異端な存在と規定し人間としての尊厳を否定すること)に晒される非白人や障害者らがアセクシュアルのアイデンティティと向き合うことの難しさを説明する。たとえば障害者は性虐待の被害を多く受けると同時に性的主体としての存在を軽視される傾向にあり、障害者運動のなかでは「自分たちだって性的な主体である」という主張が強く打ち出されたが、そういうなか障害者がアセクシュアルのアイデンティティを表明することはステレオタイプを受け入れることになるのではないかと不安を抱く。また、性虐待や性暴力の被害を受けたサバイバーたちは、自分のアセクシュアリティが自分本来のものなのか、それとも暴力によって押し付けられたものであり癒やしを通して克服するものなのかと悩むことも多い。

こうしたコミュニティ内の困難をめぐる会話は、これまでもクィア&トランスコミュニティのなかで繰り返し交わされてきたもので(とくにエースに対する「いい相手がいなかっただけ」「ただのフェイズ」「性的トラウマが原因」といった偏見は、レズビアンに対して向けられてきたものと酷似している)、セクシュアリティが社会的な規範である限り終わることはなさそう。そういうなか、LGBTだけでなくノンバイナリーやアセクシュアルについての社会的認知が広がるのはうれしい。個人的な欲求としては、わたしの周囲にアセクシュアルのセックスワーカーが結構いるので、そうした話題も入れてくれたら良かったんだけどな。

追記:邦訳「ACE アセクシュアルから見たセックスと社会のこと」2023年5月刊