Alec Karakatsanis著「Usual Cruelty: The Complicity of Lawyers in the Criminal Injustice System」
刑事弁護専門の弁護士による、不公正な司法制度のあり方を放置・温存している弁護士・検察官・裁判官ら法律家たちへの怒りの本。ロースクールで教わる法の概念としては、有罪判決を受けるまでは推定無罪で扱われるべきだし、疑わしきは罰せずが原則であるはずで、強要されての自白は無効であるはずだし、人々の権利を剥奪する際にはそれが正当な目的を達成するための最も穏健な手法でなければならないはず。しかし実際の司法では、ただ単に保釈金を払えないというだけの理由で毎日何十万人もの人たちが推定無罪のまま勾留され、無実であっても偏見や偽造された証拠によって有罪判決を受けることを恐れ(偽造が判明しても警察官や検察官が責任を問われることはほぼないし、判決が覆る保証すらない)、「有罪を認めたら今すぐ釈放します」という誘いに乗せられて自白させられる。
その結果、アメリカは世界史上もっとも大きい収監人口と保釈人口を抱えているけれども、それが犯罪抑制に最も有効な手段であるという証拠どころか、実際に犯罪を抑制している証拠すら示されていない。現実の刑事司法制度が憲法学の教科書に書かれた司法のあるべき姿とかけ離れ、人種や階級によって扱いを変える圧倒的な差別的制度になっているのに、それに疑問すら抱かないようになってしまった法律職の知的怠慢と倫理的堕落を示している、と著者。
また、生活に困っての少額の万引きが犯罪として取り締まられる一方、それよりはるかに規模が大きい労働者の賃金搾取(最低賃金以下の給料、残業分の未払いなど)はほとんど取り締まられず、たまに問題になっても民事として扱われる。一般人の賭博は刑法犯として取り締まられるのに、一般の人たちの年金などの資金の運用という名目で誰も理解できないデリヴァティヴなどへの投機でギャンブルし一般人の資産を消し去ったトレーダーや銀行幹部は誰一人として刑務所に送られない。これらの例でわかるとおり、刑事司法制度とは法律に書かれた決まりをただ執行しているのではなく、誰が行ったどういう行為かによって恣意的に取り締まったり放置したりする不公正な制度だとも指摘する。
駆け出しの弁護士だった著者が刑事弁護に目覚めたのは、ある日法廷で目撃したシーンが原因だった。その法定では市への違反切符が支払えなかった多数の黒人たちが集められ、払えなかった金額に基づいて一日何ドルという換算で留置所に入れられる決定が次々になされていた。その際、留置所の清掃の仕事をすれば勾留される日数を減らしてもらえることが伝えられ、子どもを育てているある女性は一日でも早く子どもの元に戻るために清掃員を希望すると表明した。奴隷制はとっくに廃止されているのに、違反金が支払えないというだけの理由で人々が勾留され、家族や子どもから引き離され、ほぼ強制的な労働に従事させられている。その日感じた怒りをその後もずっと保持しつづけ、法曹界に対する批判を続ける著者の姿勢はすごい。
また著者は、Emily Bazelon著「Charged: The New Movement to Transform American Prosecution and End Mass Incarceration」に書かれているような「改革派検察官」の運動についても言及。「For the People: A Story of Justice and Power」を書いたLarry Krasnerのように本気で刑事司法制度を変えようと奮闘している人もいることを認めつつ、かれらがいまだにこれといった成果を上げられていないことも指摘し、改革派検察官を選出するだけでなく刑事司法制度改革を進める市民運動がかれらを後押しし、バックラッシュに対抗しなければいけないとも指摘する。実際にバックラッシュによって昨年反改革派の検察官が当選してしまったシアトル市の動きを見ていても、著者の主張には強く共感する。