Sophie Lewis著「Abolish the Family: A Manifesto for Care and Liberation」

Abolish the Family

Sophie Lewis著「Abolish the Family: A Manifesto for Care and Liberation

著者による前著「Full Surrogacy Now: Feminism Against Family」に続く、家族廃止を訴えるマルクス主義フェミニズムの本。

家族はわたしたちが仕事に行く感情的そして経済的な動機であり、またわたしたちが仕事に行くことを可能としている社会的再生産の場でもあり、したがって資本主義を構成する必要不可欠な要素の一つだ、と著者は指摘する。Nancy Fraser著「Cannibal Capitalism: How Our System Is Devouring Democracy, Care, and the Planet—And What We Can Do About It」にも書かれているように、資本主義は家族を無限に利用可能なリソースとして食い荒らし、その結果として家族の危機が叫ばれるような状況にもなっているのだけれど、家族のような市場外のリソースの持続可能なメインテナンスを訴えるFraserに対し、本書はその解体を訴える。

著者によれば、家族とはケアの私有化を指す言葉である。わたしたちの頭の中で家族がケアと強く結びつきすぎているがために、家族の廃止という主張を聞くとわたしたちはケアが脅かされると感じてしまうけれども、家族はケアを提供するのに必須ではなく、むしろケアの対象を私的な範囲に制限し、資本を蓄積するための仕組みだ。たとえ現状において家族以外に適切かつ十分なケアを提供する仕組みがないからといって、現に適切かつ十分なケアを社会全体に提供できているとはいえない家族という制度をそのまま受け入れる理由は一切ない。著者のこうした極論は、現代の社会主義者やフェミニストは避けがちだけれど、実はマルクス主義や社会主義フェミニズムにおいて決して異端的な考えではなくむしろ中心的な議題として論じられてきたことだ。

こうした議論はしかし、たとえば国境において難民申請をする中南米移民たちの子どもが親から引き離されたり、トランスジェンダーの子どもの性自認を尊重することを「子どもの虐待」と決めつけ親子を引き離そうとする州法が各地で提案されているなか、ただタブーであるだけでなくリスキーではないか、という反論に、著者は「あと一歩で」説得されそうになる。たしかに社会によって理想化され、リソースを独り占めし、プライバシーの口実によって内部の暴力を正当化する主流文化の「家族」と、警察や移民局や世間の攻撃に晒され身を寄り添って助け合おうとしている非主流派の「家族」では、その意味あいも弊害も異なる。しかし著者は、たとえば世間の攻撃から仲間を守り助け合おうとするためにも、それを十分に行っているとは言い難い現状の「家族」にかわる、新しい社会的な繋がりの形を追求する。

前著よりさらに反家族の論理を突き進めるとともに、尖りすぎた論調におもわず爆笑させられることもあった本。