Salman Khan著「Brave New Words: How AI Will Revolutionize Education (and Why That’s a Good Thing)」

Brave New Words

Salman Khan著「Brave New Words: How AI Will Revolutionize Education (and Why That’s a Good Thing)

世界中の誰でも短い動画を通して無償でさまざまな授業を受けられる教育サービス・カーンアカデミーを設立した著者が、教育における人工知能(AI)の採用を訴える本。著者はOpenAIのサム・アルトマンからGPT-4の一般公開前のバージョンを見せられ、生成的人工知能の進歩によりついに誰でも動画で無償の授業を受けられるだけでなく、それぞれの興味や理解度に応じてAI家庭教師の助けを得られることになると感激した様子。

教育におけるAIの利用については、先に読んだPriten Shah著「AI and the Future of Education: Teaching in the Age of Artificial Intelligence」がかなりガッカリな感じだったのだけど、著者が公共教育の整備が遅れていたり女子や少数民族の教育が軽視されている地域の子どもたち(や大人たち)に教育を受ける機会を広げようとしていることから、そういう文脈においてはまた違った議論があり得るのかなと思い読んだ。結果、たしかにこれまでろくに教育を受ける機会がなかった人たちに個別指導を提供できる点は良いと思ったのだけれど、人間の教師とAIが協力した教育できる地域とますます人間の教師が減らされAIだけに教育が任される地域の格差が拡大してしまいそうな不安はある。

またこれはAIの社会的影響についての議論のたびに出てくる話なのだけど、AIの使用による不平等の拡大やプライバシーへの教育、不正の横行といった問題に対して、「AIを使わない時点でもすでにそうした問題はあるのだから、リスクや弊害があるかないかではなく現状と比べてどうかで判断すべきだ」というのは一見まっとうな意見に見えるのだけれど、問題のスケールとスピードが違いすぎて同じ基準で比較できるのか、問題が起きた時に是正することはできるのか、という疑問がある。「生成的AIは既に野に放たれてしまった、是か否かを議論することは不毛であり、どう使うか考えるべきだ」というのもまあ事実としてそうするしかないのは確かなのだけど、ヘイトスピーチやフェイクニュースを爆発的に拡散するソーシャルメディアや労働を細切れにして労働者の生活を脅かすギグ・エコノミーのプラットフォームなど次々と社会を脅かす技術を好き勝手に広めて「もう遅い、それがあることを前提になんとかしろ」と押し付けてくるテクノロジー業界はどうにかならないのか。