Roxanne Dunbar-Ortiz著「Not “A Nation of Immigrants”: Settler Colonialism, White Supremacy, and a History of Erasure and Exclusion」

Not "A Nation of Immigrants"

Roxanne Dunbar-Ortiz著「Not “A Nation of Immigrants”: Settler Colonialism, White Supremacy, and a History of Erasure and Exclusion

「A Nation of Immigrants」(移民の国)は大統領選挙に出る前のケネディ上院議員が1958年に発表した本のタイトル。ケネディがその本で取り上げたのは主にヨーロッパからの移民の歴史だったけれども、最近ではトランプに代表される移民排斥派への反論として、リベラル派が「アメリカは移民の国だ、移民受け入れをやめるべきではない」という主張をしがち。

前著「An Indigenous People’s History of the United States」で先住民の側から見たアメリカ合衆国の歴史を記述し、移民(入植者)植民地主義が現在に至るまでアメリカ史の一貫したテーマであることを指摘した著者が、世界各国からの移民・植民の歴史をたどりつつ、祖国では貧しかったり迫害されていた移民たちが「移民の国」というレトリックなどを通して入植者植民地主義に絡み取られ、それを強化する仕組みを批判。

アメリカに移住した人といっても、差別や抑圧を受けていたり貧困に苦しんだ末に移住した人もいれば、一攫千金を求めて移住した人、アフリカから奴隷として連れてこられた人、アメリカが起こした侵略戦争や内戦の結果として難民として来る人などさまざまな人がいて、その全員にヨーロッパからアメリカ大陸に入植し先住民を虐殺した人と同じ責任を求めることはできない。しかし入植者たちが作り出した社会に受け入れられるために、入植者たちの文化や価値観を受け入れ、その尖兵となる移民は多い。というより、意識的に入植者植民地主義に抵抗しないかぎり、社会への順応は移民を植民者の仲間に変えてしまう。

とくに1965年に移民法が改正され、人種差別などを禁止する法律が作られていらい、リベラルを中心にアメリカはかつての「白人の国」という自己イメージから、「さまざまな人種や文化の人が混じり合って生活する国」「移民とその末裔の国」という自己イメージに移行しつつある。もちろん白人至上主義者もたくさんいるし、大統領になったりもするけど、全体的な傾向としては確実にそっちに向かっている。その結果として、新たな移民やマイノリティがアメリカ社会に順応するハードルは下がるけれども、それは同時に入植者植民地主義がより広く共有されることにもつながる。

そのなかで、先住民たちが置かれた特殊な権利剥奪の状態が、現在進行系で主権が侵害されジェノサイドが行われている事実とともに忘却され、せいぜい「かつて差別を受けた、しかしアメリカの文化に大きな貢献をしてきた、マイノリティ集団の1つ」としてしか先住民が認知されなくなる。アメリカは移民の国ではなく植民地主義の国であり、非白人の移民すら受け入れの対価として入植者として取り込むシステムであることを忘れてはいけない。