Rosalind Gill著「Perfect: Feeling Judged on Social Media」
イギリスの若い女性たち(と、一部ノンバイナリーやその他の人たち)がソーシャルメディアをどう利用し、それをどのように感じているか調査した本。
ソーシャルメディアの若者に対する影響についての分析は、ソーシャルメディアによって若者たちが翻弄され悲惨な目にあっているという心理学系の研究と、古代から新たに登場したメディアの若者に対する悪影響が叫ばれてきたがモラル・パニックだったという文化研究系の研究が対立しているが、本書はそのどちらにも与さず、若い女性たちが置かれた過酷なメディア環境を指摘するとともに、その中で彼女たちがどのようにして自分を表現しつつ自己保全を図っているか論じる。
とはいえ内容の多くは彼女たちがどれだけソーシャルメディアやその周辺に発達した画像修正アプリなどにより外見だけでなくキャリアや交友関係などパーフェクトな自分を演出するような圧力を受けていて、しかも自己プロデュースするのは当たり前でありながら画像を修正しすぎるのも生活状況を盛りすぎるのもいけない、投稿が多すぎても少なすぎても評価を下げてしまう、という息苦しい状況が描かれていて、自分が若いころソーシャルメディアがなくて良かったとしか。できたらスマホは欲しかったけど。写真を盛る系のアプリだけでなく、化粧やヘアスタイルを変えてみたらどうなるかというアプリ、そして整形手術の結果を予測できるアプリまでさまざまなアプリが存在し、さまざまな商品や整形手術の売り込みに繋がっている。また、ソーシャルメディアにおけるゴシップや男性からのセクハラ(望んでいないのに突然男性器の写真が送りつけられる、など)もごく普遍的な経験。
多くの女性たちはそうしたソーシャルメディアにおける自己プロデュース圧力や商業主義、そして性差別的な視線について意識的というかきっちり批判的なメディアリテラシー的な考えを持っているが、それでもそれらから逃れるのは難しく、「そういうもの」だと捉えたうえでうまく自分を守ろうとしている。「ソーシャルメディアとのうまい付き合い方」を若者たちに教えようとするメディアリテラシーのプログラムが学校で導入されたりもしているが、かれらはメディアリテラシーを欠いているわけではなく、上の世代と比べてはるかに発達したメディアリテラシーをもってしても抗えない商業的なソーシャルメディアの設計に圧倒されているのが実情。「うまく付き合う」責任を若者に押し付けるのではなく、社会にとって有益な、というか少なくとも社会に被害を巻き起こさないソーシャルメディアの設計が求められる。あとソーシャルメディアはやはり犬や猫の画像や動画を投稿するのに特化すべき(偏見)