Nancy Scherer著「Diversifying the Courts: Race, Gender, and Judicial Legitimacy」

Diversifying the Courts

Nancy Scherer著「Diversifying the Courts: Race, Gender, and Judicial Legitimacy

地方裁判所から最高裁判所まで、連邦裁判所で判事を務める人の大多数をいまだに白人男性が占めるなか、民主党のカーター・クリントン・オバマ大統領は女性やマイノリティの判事を増やそうとした一方、共和党のレーガン・ブッシュ41st・ブッシュ43rd・トランプ大統領は人種や性別に関係なく最も判事に相応しい人物を指名するべきだと主張してきた。本書は両党のこうした異なるアプローチがどちらも「裁判所の正統性を強化する」という理由で採用されていることを指摘し、政治学者の著者自身による実験を通してそれらの妥当性を検証する。ここでいう正統性とは、個々の判決に納得がいくかどうかは別として、人々が裁判所の判断を一般的に信用し正当なものとして受け入れるかどうか、ということ。

判事は人種や性別など多様性とは関係なく本人の能力や実績を元に選ぶべきだ、という考えは伝統的な主張だと思われがちだが、実際には歴史的に多様性は連邦判事の指名において建国当時から重要な要因だった。ただし白人男性しか政治参加の権利を持たなかった建国時に必要とされた「多様性」はもちろん人種や性別ではなく、それぞれの地域、とくに奴隷制に依存していた南部のプランテーション社会と北部の工業社会を代表する判事をバランス良く指名することだった。その後、白人のなかでも差別を受けていたカトリックやユダヤ系の人たちが地位を向上させていくなか、カトリックやユダヤ人の判事を最高裁に一人ずつ入れることが慣例になっていった。

それらに比べ黒人や女性の最高裁判事はまだ歴史が浅いが、黒人男性としてはじめて最高裁判事になったサーグッド・マーシャルが引退するとブッシュ41は政治姿勢はマーシャルと正反対であるものの同じく黒人のクラランス・トマスをその後任に任命し、また女性としてはじめて最高裁判事になったサンドラ・デイ・オコナーが引退するとブッシュ43は自身の側近であった女性法律家のハリエット・マイヤーズを後任に指名した(マイヤーズは実績不足が批判され、指名辞退に追い込まれた)。最近では二人目の女性最高裁判事ルース・ベイダー・ギンズバーグの後任にトランプは女性の保守派法律家エイミー・コニー・バレットを指名した。このように、共和党は人種や性別を考慮に入れることに反対すると言いながら、実際にはそれらに配慮しているように見える。

ただし、民主党が女性や黒人の判事を任命するときにはたくさんいるリベラル派の法律家のなかから選ぶことができる一方、共和党は数少ない女性や黒人の保守派法律家から選ばなくてはいけないため、どうしても経験や実績が不十分な黒人や女性が選ばれる傾向にある。共和党はよく「人種や性別を考慮して判事を指名することは、その地位に相応しい人物ではなく、たまたま黒人や女性であるだけの相応しくない人物を選ぶことになる」と主張するが、その指摘は民主党ではなく共和党による黒人や女性の指名に当てはまるというのは皮肉。

ここからも分かるように、判事の指名をめぐる民主党と共和党の姿勢の対立は、アファーマティヴアクションの是非をめぐる両者の主張の対立を反映している。民主党側は、裁判所が人々の信頼を得て正統性を持つためには判事たちが一般市民を代表している必要があり、そのためには一般市民の多様性が判事の顔ぶれに反映されるべきだ、と考える。また民主党は、黒人や女性などマイノリティに属する判事は白人男性が経験していないことを経験し、白人男性からは見えにくいことが見えていることが多いので、マイノリティの判事が増えることでマイノリティの市民がよりフェアな裁判を受けられるようになる、と主張する。いっぽう共和党は、人種や性別を考慮に加えて指名された判事は本来指名されるはずだった(白人男性)判事より能力が劣るとみなされ、かれらが下す法的な判断は信用されない、と反論する。すなわち、民主党はより多様な判事を指名することが裁判所の正統性を向上させると考えるのに対し、共和党は人種や性別を考慮して判事を指名すると裁判所の正統性が毀損されると考えている。

本書の後半では、これらの議論をふまえたうえで、判事の性別や人種によって裁判所の正統性に人々がどのような印象を抱くのか、実験室での実験で検証しようとする。実験において被験者は、判事のうちの女性や黒人の割合がどれだけなのかいくつか異なるパターンの情報を与えられ、そのうえで実在する新聞記事に見せかけた架空の裁判についての記事を読まされる。記事に書かれているのは、麻薬の密売人とされた人の裁判で警察による違法捜査が認定されて無罪判決が出た、というもので、紙面に判事の写真として黒人の写真が掲載されているもの、白人の写真が掲載されているもの、そしてどちらの写真も掲載されていないものの3種類がランダムに分けられた被験者たちにそれぞれ見せられる。記事を読んだ被験者が判決にどれだけ納得したか調査し、被験者の人種と性別ごとに比較した。また人種ではなく政治主張が理由で判断が分かれる可能性があるので被験者の支持政党ごとにも結果を集計している。

本書では四章に及んでこの研究の結果を詳しく説明しているのだけれど、一言でまとめると、黒人のあいだでは判事が黒人であるか白人であるかで評価は変わらなかったけれど、白人、とくに白人男性は判事の人種によって判決への評価が大きく異なった。また、白人男性のあいだでは、女性の判事の割合が全体の4割までなら増えてもとくに反発はなかったけれども、それ以上になると裁判所に対する不信が強くなり、黒人の割合は増えれば増えるほど強い反発があった。この調査ではそうした反発が共和党の言うような「アファーマティヴアクションに対する懸念」なのか、それともただのレイシズムなのか判断はできないけれども、まあそもそもアファーマティヴアクションへの反発がレイシズムと結びついている人が多いであろうことは想像できる。あと、白人と黒人の被験者を比較するのに、この記事一つに対する評価だけで論じていいものなのか、ちょっと怪しい。

それはともかく、本書の終盤ではトランプが2016年の選挙中から自分に不利な判決を出した連邦判事に対して「あいつはメキシコ系だから自分に敵対している」と中傷したり、ムスリム移民入国禁止令などトランプの政策に対して違憲判決を出した判事をツイッターでテロリストの味方と呼ぶなど攻撃したことを挙げて、裁判所の正統性が危機に晒されていることを指摘。たしかにトランプのそれらの行為は歴史的に見ても異常だし、裁判所に対する信頼を毀損するものだけれど、実際のところ裁判所の正統性が疑われている一番の理由は最高裁が極右勢力によって乗っ取られ妊娠中絶の権利を否定したり黒人の参政権を守る仕組みを撤廃するなど人権擁護を放り出し宗教右派と産業界が好き勝手できる状態を生んでいることだと思うんだけれど。