Matt Sienkiewicz & Nick Marx著「That’s Not Funny: How the Right Makes Comedy Work for Them」
「サタイアやコメディは保守には向いていない」という長年の定説に反し近年活発になっている保守派によるコメディについて真剣に取り上げた本。
以前紹介したDannagal Goldthwaite Young著「Irony and Outrage: The Polarized Landscape of Rage, Fear, and Laughter in the United States」ではアイロニーやサタイアを使って笑いを巻き起こすコメディは「The Daily Show」や「Saturday Night Live」の例に見られるようにリベラルと相性が良く、保守の側のエンターテインメントは怒りをストレートに表現するトークラジオに代表される、そしてそれはリベラルと保守が何をエンターテインメントに求めているかという心理的傾向と関係している、と論じられていた。その象徴が、保守が「The Daily Show」を真似しようとしたFOX Newsの「The 1/2 Hour News Hour」とリベラルがトークラジオを真似しようとした「Air America Radio」のそれぞれの失敗だった。
しかし本書はリベラルがいまだに「The 1/2 Hour News Hour」の大失敗をあげつらい保守のコメディを否定して、その後保守のコメディがさまざまなメディアで影響力を強めていることから目を逸らしていることを批判する。「1/2 Hour」がたったの数ヶ月で打ち切りになったFOX Newsではその後Greg Gutfeldが深夜番組で高視聴率を獲得しているし、往年のコメディアンであるデニス・ミラーやティム・アレンは「世間の流れについていけない年老いた白人男性」の立場から自虐を絡めつつポリコレや多様性を否定する作風で同世代の支持を得ている。リベラルに道端で論争をふっかけて一方的に「論破!」と見下し相手を笑いものにする動画がYouTubeで再生回数を稼いだり、リバタリアンとしての「表現の自由」の信念を盾に差別的なことを「あえて」言ったり、それに反発する人たちを「釣れた」と晒し上げるコンテンツを通して差別的表現の社会的許容度を高めたり。リベラルや非白人や女性をからかうポッドキャストを続けるうちに支持者を集めて極右団体プラウドボーイズを設立してしまったギャヴィン・マキネスも保守派コメディの成功者の一人と言える。
この本で紹介される保守的コメディの世界には、FOX Newsにコメンテータとして出演する党派的なコメディアンから、(白人男性にとっての)古き良き時代へのノスタルジアで共感を呼ぶ往年の有名コメディアン、宗教右派的なパロディニュースサイト、差別的な発言も言論の自由の範疇に含まれるとして主流メディアには出演できないレベルの差別主義者らとコラボして拡散するリバタリアンのポッドキャスト、リベラルの主張を決めつけて面白おかしく論破してみせる論客風のチャンネル、「あえて」行う差別的な発言でリベラルを挑発してその反応を笑いにするサイト、そして「あえて」だとか「言論の自由」だという建て前すら放り投げてはっきりと差別的なジョークや陰謀論を拡散する最悪のヘイターらが、相互のコラボや紹介、ソーシャルメディアのリコメンデーションエンジン、そして4chなどを通して視聴者をやり取りしている。
著者らはこのような多様な保守の勢力がバラバラにならず、程度の差こそあれ一定の認識を共有できているのは、保守のコメディがそれぞれの勢力のあいだの潤滑油になっているからだと指摘する。単純に事実として言えば、たとえばオバマはケニア生まれだと信じる人とアメリカ生まれだと信じる人とのあいだでは共通認識は生まれないけれども、「あえて」リベラルを挑発するためにケニア生まれだと言ってみたり、オバマの価値観はアメリカの伝統的なそれからかけ離れているという意味のサタイアとして「ケニア生まれのオバマ」というカリカチュアをジョークに使うのであれば、どちらを信じる人もそのジョークで繋がることができる。アメリカはユダヤ人やペドファイルによって支配されていると信じていてもそうでなくとも、ユダヤ人ジョークやリベラル政治家の性についての(女性差別的で同性愛者差別的な)ジョークとしてなら共有できる。
そうしたメディア環境はリベラルが視聴するものとは切り離されていて、リベラルはその深刻な影響力どころか存在に気づかない。そもそもそれらのコメディはリベラルから見れば全く笑えないし、ただのヘイトに見えてしまうのでコメディとすら理解できないことが多い。他方で保守のコメディアンたちは、リベラルはポリコレのせいで表現の自由がなくなったうえに、トランプの度重なる挑発的な言動によってサタイアを骨抜きされてしまった(現実にトランプが言っていることのほうがリベラルが考えるサタイアより常軌を逸しているので)ため、もはやリベラルにはコメディはできない、とすら考え始めている。
コメディはリベラルのものであり保守には向いていないという認識はいますぐ改め、現実の政治に大きな影響を及ぼしはじめている保守のコメディの危険性を真剣に見据えるべきだ、というのが著者らの考え。わたし自身知らないことがたくさんあり、刺激を受けた。