Marie Yovanovitch著「Lessons from the Edge: A Memoir」

Lessons from the Edge

Marie Yovanovitch著「Lessons from the Edge: A Memoir

トランプ大統領によって罷免されトランプの弾劾裁判で証言した元駐ウクライナ米国大使の回顧録。ソ連からカナダに移住してきた両親のもとに生まれロシア語を学びながら育ち米国籍を取った著者は、いくつか職を経たあと海外公館の事務員として米国外交部に所属。たまたま先輩の女性外交官が職場での性差別を告発し裁判で勝訴したことで女性の登用を進める機運があったことや、ソ連の崩壊で15の共和国が独立しこれまでモスクワに1つだけあった大使館が15箇所に増えたことなど偶然が重なり、ロシア語をしゃべり旧ソ連の文化や政治に詳しい彼女は次第に重要な役割を与えられることになる。

初の赴任先だった内戦激化前のソマリアから、エリツィン大統領と議会の対立が高まり大統領が議事堂に砲弾を打ち込んだロシアまで、米国は政治的な利便性から親米でありさえすれば腐敗した権力者を支えることがよくあるけれど、権力の腐敗は経済の停滞と社会の不安定化をもたらし米国の利益も損ねることが多々ある、というテーマが繰り返される。ソ連出身の両親を持ち冷戦後のロシアに住んでいる遠い親戚の窮状を目の当たりにした彼女は、旧ソ連諸国が腐敗を排し自由で豊かな社会に生まれ変わることこそがアメリカの国益にもかなうことだと信じ、赴任したタジキスタン、キルギス、アルメニア、ウクライナの各国で(「反テロ戦争」を戦う米軍の優先順位と衝突することもありつつ)民主的な改革と腐敗の追放を追求していく。

腐敗した権力者やオリガルヒに批判的な立場を取ることは、当然かれらからの反撃も招くことにもなる。各国には「反テロ戦争」の口実で強引に押し付けられた米軍基地など人々が米国に不満を感じるような事情もあり、米国の外交官を標的とした陰謀論が囁かれることも少なくない。とくにロシア政府は2016年米国大統領選挙への介入に見られるようにフェイクニュースを使った情報操作を得意としているけれど、大抵の場合その影響は対象とされた国の内部に限られていた。

米国だけでなくウクライナを支援する多数の国により腐敗を指摘され罷免されたウクライナ検察官(腐敗の取り調べをするはずが容疑者にどう言い逃れるか指南していた証拠がある)による著者への批判もそうしたよくある反撃の1つだったけれども、トランプの個人的な弁護士として暗躍していたルーディ・ジュリアーニ元ニューヨーク市長がそれに便乗して著者に対する批判キャンペーンをはじめたことで誰も予想しなかった大騒動に発展する。

トランプ側近らが広めた陰謀論は、2016年米国大統領選挙に違法に介入したのはトランプを支援したロシアではなくクリントンを支援したウクライナであり、検察官が罷免されたのは次期大統領選挙に立候補するとみなされていたバイデン元副大統領の息子が関わる企業への捜査を阻止するためだったのだ、という内容。さらに著者はウクライナ民主化を支援するという口実でジョージ・ソロスらと結託しロシアに親和的だったヤヌコヴィッチ大統領をマイダン革命(尊厳革命)で追い落とした(ヤヌコヴィッチは巨額の国家資産とともにロシアに亡命した)、とも。これらのなんの根拠もない陰謀論により、著者はクリントンやバイデンの味方をする悪質な党派的外交官であり即刻罷免すべきだ、というロシアとトランプ政権双方にとって都合のいいキャンペーンが進められた。

2019年の選挙でゼリンスキー大統領の当選が確実となった時期に大使を罷免され米国に帰国した著者は、その後トランプ大統領がゼリンスキー大統領との電話会談において著者を個人的に攻撃したほか、既に決定されていたウクライナへの軍事支援を人質にとってバイデンの息子に対する捜査をウクライナ政府が始めると発表しろ、と要求したことが暴露され、トランプの一度目の弾劾裁判の証人となる。彼女が罷免されたのはトランプとゼリンスキーの会談が行われるずっと前の話であり、直接彼女には関係ないと思われたものの、トランプ弾劾を進める民主党議員は彼女に対するトランプ側近による批判キャンペーンや彼女の罷免はゼリンスキーに対する不当な圧力と直接繋がっていると判断した。彼女が公聴会に呼ばれて証言をはじめると、トランプはリアルタイムで彼女に対する誹謗中傷をツイッターで行った。

報道によりゼリンスキーとトランプの電話会談が明らかになった日、ウクライナ大使となった著者とともにキーウに移住し、伝統的には大使の妻が行うような現地の女性たちとの関わりなど儀礼的な役割を担った彼女の母親が倒れた。保守系メディアで著者に対するいわれのないバッシングが続くなか、自分の娘の心配をしながら毎日病院のベッドの上で必死にニュースを追っていた母親の病状は悪化し、彼女の公聴会での証言が近づくなか母親は帰らぬ人となった。自分が心配をかけたせいで母親を本来より早い死に追いやってしまったという後悔とともに、選挙戦略や政治的な得点のために彼女だけでなく民主化を求めるウクライナの人たちやアメリカの民主主義そのものまでを攻撃したトランプらに怒りを感じたという。

何十年ものあいだ米国の外交に関わっていた当事者の本なので、時に問題は起こすけれども、米国は外交を通して自由と民主主義を世界に広げようとしている素晴らしい国だ、みたいなノリがあり、納得できない面もあるのだけれど、彼女の本心ではあると思う。ソマリアや旧ソ連で自分の親戚を含めた現地の人々の暮らし知り、権力の腐敗が人々から希望を奪うことを繰り返し目の当たりにしたからこそ、腐敗の排除と民主化こそが現地の人たちとアメリカの共通の利益に繋がると信じ、そして民主化を支援するはずの米国自体の権力の腐敗により個人的に矢面に立たされた経験から、さらに反腐敗の思いを強くした様子。アメリカは自分たちの正義を他国に押し付けるべきではないが、それとは別に自由と民主主義を求める市民への支援は続けるべきだと主張する。

この本はロシアとウクライナのあいだで緊張が高まるなか執筆され、ロシアのウクライナ侵攻から3週間後に出版されたので、2022年のウクライナ侵攻については直接の言及はない。アメリカの識者のあいだではロシアは過去の国とされ中国の脅威が議論されがちだがロシアの危険にもきちんと向き合うべき、という提言があるのはそのせいだけれども、マイダン革命からロシアのクリミア併合・ドンバス侵攻に繋がる経緯や、キルギス・アルメニアなどほかの旧ソ連諸国の政治的状況などについても詳しく触れられていて、いま起きている戦争を理解する助けにもなる(ウクライナについてのより詳しい解説は Serhy Yekelchyk著「Ukraine (What Everyone Needs to Know)」も参照)。