Luke Messac著「Your Money or Your Life: Debt Collection in American Medicine」
医療費が高騰するアメリカにおいて、患者が支払いきれない医療債務がどれだけ多くの人たちの人生を傷つけているか告発する本。
かつて多くの医者は個人で開業しており、医者は自分が住む地域の住民とは「医者と患者」としてだけではなく同じ地域の隣人としての関係を持っていた。そのため医療費が支払えない人にもツケで医療を施したし、患者の側も長い間かけてもなんとかして支払いをしようとした。ところが時代が進むとともに医療の世界でも少数の巨大病院グループによる寡占化が進み、大多数の医者はそこに雇われた従業員に。さらにそうした病院グループがプライベートエクィティにより買収されたりマッキンゼーのコンサルティングを受けて収益改善を図るなどした結果、医者と患者との関係は破壊され、医療債務はかつて問題となったサブプライムローンと同じように債券化され医療とはなんの関係もない債務回収業者に売り渡されるようになった。
著者は医療歴史研究者であり、救急医療で働く医師でもある。研究者としてアフリカ各地で医療費をめぐる医療機関と患者の攻防を取材し、たとえば医療費を払えない母親に対して生まれたばかりの子どもを病院が人質に取るなどの問題について調べていたが、ある時自分が勤務するアメリカ国内の病院が医療費を支払えない患者を裁判に訴えて債務回収しようとしている事実を知る。裁判所に出向き多数のそうした裁判の資料を集め、ブログで自分が勤務する病院を告発して解雇されそうになるなど著者の倫理観や行動力はすごいけど、本書で紹介されているような例は時々一般のメディアでも紹介される。たとえばある80歳代の女性は、長年付き添ってきた夫が亡くなったあと夫にかかった医療費を払うよう要求され、支払いの代わりにと無給でその病院で洗濯の仕事をさせられている、など。そうした報道があるたび、一部の病院や債務回収業者が非難されるのだけれど、問題は構造的であり一部の悪い病院や業者だけを非難しておしまいにしてしまってはいけないと著者。
そもそもそうまでして多くの人が支払いをしようとするのは、借金は返すべきだという強烈な倫理観とともに、返さなければ借金回収業者から毎日のように追い回され、信用報告業者にも連絡されてローンを組めなくなったり仕事や住居を得られなくなる、家族や職場に迷惑をかける、などが理由。特に医療保険を持たない人に対して、病院はわざわざ割高の料金を請求し書類上の負債を膨らませたうえで、それを書類上の価格の1%にもならない金額で債務回収業者に売り渡したりする。そんなにディスカウントできるなら業者じゃなくて患者に直接オファーすればいいだろと思うのだけれど、病院がこのようなことをするのは債務を回収するためではなく、医療費を支払えないとこんなに痛い目をみるんだと患者に思い知らせることで、医療費を払えない患者をそもそも病院に寄せ付けないことが目的。そうして多くの貧しい人たちや医療保険を持たない人たちは、早期の治療を受けられずに持病を悪化させ、命を落とすだけでなく、長期的にはより深刻になった状況で医療を受けることになり医療費高騰をさらに進めてしまう。
著者が特に問題とするのは、アメリカにおける医療の半分以上を担当している、民間の非営利団体が経営する病院だ。これらの病院は非営利団体として税金を払わなくていいかわりに、医療費を支払えない患者を対象に一定の範囲内で無償で医療を提供する義務を負うのだが、多くの病院はそうした支援の存在を患者から隠し、収入がないなど明らかに無償の医療を受けられる資格がある患者に対しても医療債務の支払いを迫る。わたし自身、20年ほど前は一年に5、6回入院するほど体調が悪く、また収入も少なかったのでいつの間にか払えない医療費が莫大な金額になり訴えられかけたのだけれど(周囲に相談して支援の存在を知りめでたく請求を取り消してもらえた)、その病院はマッキンゼーのアドバイスにより支援の存在を意図的に隠し、また申し込みがあっても「書類が足りない」などの理由を付けて却下する方針を取っていたことが後に明らかになった。当時は訴えられなくてよかったと思っていたけど、それを知った以上こっちが訴えたいくらいだ。
医療費高騰の原因はたくさんあるけれど、保険会社や債務回収業者など医療の提供と直接関係のない業界がいくつもぶら下がって利益を吸い上げていることは確実のその1つだし、かれらがいなくなっても誰も困らない。いくつかの州では医療債務を回収業者に回したり信用調査に含めることを禁止する法律もできているけれど、それを知らずに医療債務をクレジットカードで払ってしまったり(クレジットカードの債務はそうした州法に含まれない)、「月にこれだけの支払いでいいですよ」という支払いプランを提示されてそれに同意してしまう(その支払いプランはクレジットカードと同じく医療費とは別のローンになっていて、これもまた州法の対象外)人も多く、より根本的な改革が必要。