Laura Kate Dale著「Gender Euphoria: Stories of joy from trans, non-binary and intersex writers」
かつての「トランスセクシュアル」や「性同一性障害」にかわる精神医学用語であり日本語で「性別違和」と訳される「ジェンダー・ディスフォリア」(性の不幸感)に対して、その反対の意味の造語「ジェンダー・ユーフォリア」(性の多幸感)をタイトルにつけた、トランスジェンダーやノンバイナリーの人たちによるアンソロジー。
一般社会的には、トランスジェンダーの人たちは性別違和という不幸を抱えた人たちとされていて、性自認の尊重や法的な承認、医療による介入はそうした不幸を解決するための手段として「許されて」いる。本書が訴えるのは、トランスジェンダーやノンバイナリーとして生きることはただ不幸なだけではなく、また社会的承認は不幸をなくすためでなく幸福を実感するための手段として堂々と要求できるものだ、ということ。世の中には不幸感の有無こそが「本物の」トランスジェンダーとそれ以外を区別する基準になると考え、不幸でないなら社会的承認も医療も必要ないという人もいるが、自分らしく生きられないことの不幸感ではなく自分らしく生きることができたときに幸福感をベースにトランスジェンダーやノンバイナリーの存在を考えようという呼びかけは新鮮。
本書には29篇のエッセイが掲載されているのだけれど、そのうち約三分の一が編集者本人によるもので、最初のうちは読みながら「またお前かよ」と思っていたのだけれどだんだんその人の人生のさまざまな段階について知ることができて、それがほかの執筆者たちのエッセイとバランスを取っている感じなので、これはこれでアリかと思った。彼女はイギリス人のトランス女性で自閉症を自認しているオタクで、そのためか自閉症やニューロダイバージェントやオタクな執筆者が多数いるのも、やっぱり読みながら「またか」と思ったけど、ニューロダイバージェントなトランスやノンバイナリーな人もそれぞれなのでそれもまたいいか、とだんだん思えてきた。トランスやノンバイナリーの人たちがみんなそうだと思われないか不安はあるけど。
サブタイトルには「トランス、ノンバイナリー、インターセックスのライターたち」と書かれていて、インターセックス(一般には性分化疾患やDSDと呼ばれる)の部分がちょっと不安だったのだけれど、蓋を開けてみたらインターセックス自認の執筆者は一人だけ。インターセックスでありノンバイナリーの人で、女の子として育てられたけど女性になりたくなくて初潮が来るのを恐れていたけど、いつまで経っても来ないので大人になってからとうとう医者に相談して診断を受けた。インターセックスについて説明している部分では少し誤解を広めそうなところもあるけれど、インターセックス自体をトランスやノンバイナリーと並ぶ性自認の一種として扱っているわけではなくて、インターセックスでありノンバイナリーの人のエッセイ、という形なのでそこは安心した。ただ、別の人のエッセイの中で「ふたなり」という日本語が紹介されていてそっちの説明のほうがちょっと困る感じ。