Kenny Xu著「An Inconvenient Minority: The Harvard Admissions Case and the Attack on Asian American Excellence」

An Inconvenient Minority

Kenny Xu著「An Inconvenient Minority: The Harvard Admissions Case and the Attack on Asian American Excellence

ハーヴァード大学とノースカロライナ大学チャペルヒル校におけるアファーマティヴ・アクションの是非をめぐる裁判が最高裁で争われるなか出版された、それらの大学のポリシーがアジア系アメリカ人に対する差別であると主張する本。著者はハーヴァード大学に対する裁判にも関わっている中国系アメリカ人の活動家で、黒人やラティーノを優遇するさまざまなアファーマティヴ・アクションの制度によりアジア系アメリカ人が不利にされているとして、人種を考慮に入れるあらゆる制度の撤廃を主張している。

著者はアジア系アメリカ人は決して特権のある立場ではないと主張し、中国系移民や日系人に対する差別の歴史を指摘するとともに、1965年の移民法改正により増えたアジア系移民の多くは英語を満足に話せず白人中流家庭のように先祖代々の資産やコネも持っていなかったと言う。かれらの多くは必死に働き、子どもたちの教育に投資した。ハーヴァードのようなエリート私立大学への入学審査では大口献金者や卒業生の子息が優遇されるが、移民を親に持つアジア系アメリカ人の若者たちには当然そういう方法も取れず、ただ入学試験で良い点を取ることだけがエリート大学への道だった。そうした困難を乗り越えて白人以上に成功したアジア系アメリカ人こそ、アメリカ社会にメリトクラシーが存在し、アメリカン・ドリームが健在であることの証明だ、と著者は主張する。

しかしそうしたアジア系アメリカ人の成功は、アメリカは根本的に人種差別的であると主張する(と著者が決めつける)批評的人種理論を信奉する「ウォーク」(と著者が呼ぶ)なリベラルにとっては不都合。もしアジア系アメリカ人が正当な手段によって自力で成功したことを認めてしまうと、黒人やラティーノは人種差別によって成功する機会を奪われている、というリベラルの主張が崩壊するので、かれらはなんとかしてアジア系アメリカ人の成功にケチをつけようとする。それはたとえば、アジア系アメリカ人は白人至上主義の構図のなかで白人たちにすり寄ることでおこぼれを受け取っているのだとか、移民する際に資産やコネを持ち込んだのだとか。著者はそうした議論をアジア人差別であると一蹴し、白人リベラルエリートたちは黒人などに対して感じる罪悪感を誤魔化すためにアファーマティヴ・アクションや反人種差別を謳っているだけであり、黒人やラティーノのためにアジア系アメリカ人の成功を潰そうとする差別主義者だと批判する。

著者は、アジア系アメリカ人は白人と違って歴史的な遺産や特権を持っているわけではないのだから白人と同じように扱うな、と主張するのだけれど、同時に白人が特権を持っていることや、特権を持たない非白人たちに対する救済措置をも全面的に否定している。ハーヴァードやその他の有名大学や進学校の入学枠で黒人やラティーノらを優遇することはアジア系アメリカ人の枠を奪うことになると批判すると同時に、黒人やラティーノのための席を設けるためにアジア系アメリカ人の枠を奪おうとするのは「ゼロサム・ゲーム」だとして批判する。その場しのぎの議論が目立ち、アファーマティヴ・アクションを支持する人たちは「ウォーク」であり「批判的人種理論」信奉者であるだけでなく、優秀なアジア系アメリカ人と直接競合することを恐れている白人リベラルエリートだと言うのだけれど、現実の黒人やラティーノたちの存在は本書の中に希薄。実際、おもに反人種差別のセミナーで稼いでいるやつ、といった文脈で黒人の反人種差別活動家は引用されており、読者がマルコムXを知らない前提で書かれている部分はさすがに唖然とした。コロナ危機のなかで増えたアジア系アメリカ人に対するヘイトクライムや、ロサンゼルス暴動のときに起きた韓国系アメリカ人の店への黒人たちの反感を「アジア系アメリカ人の成功に対する妬み」と決めつけるあたりも、まともに人種問題について考えているようには思えない。

アジア系アメリカ人の移民たちが子どもたちに良い教育を受けさせようと多大な犠牲を支払ったことや、子どもたちもその期待を受けて進学のためにその他の多くを犠牲にしたことは事実だと思うし、アジア系であるという理由で機会を奪われることに抗議するのは理解できる。アジア系アメリカ人の一部の人たち(アジア系アメリカ人内の経済格差はほかの人種内の格差より大きい)が学問やシリコンバレーで成功していることも確かだし、それがどうしてなのか社会的・文化的・経済的その他の面から研究するのも良いと思う。エリート教育のさまざまな機関のなかにはテストの成績を最重要視するところがあってもいいだろう。でも、白人至上主義や反黒人主義の存在を否定したり、アファーマティヴ・アクションの全廃を主張したり、「ウォーク」や「批判的人種理論」に対する右派メディア的なカリカチュアを持ち出してバッシングするなど、著者の主張は白人至上主義者のそれと区別がつかない危険なものに見える。こうした意見が特に、歴史的にメリトクラシー信仰の強い中国系アメリカ人社会で広まりつつあることはわたしの周囲からも見聞きしていて、とても懸念している。