Katrine Marçal著「Mother of Invention: How Good Ideas Get Ignored in an Economy Built for Men」

Mother of Invention

Katrine Marçal著「Mother of Invention: How Good Ideas Get Ignored in an Economy Built for Men

日本語にも翻訳された『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』の著者が、技術の進歩やイノベーションが社会における女性やジェンダーをめぐる考え方によって形作られ、また阻害されている事実を指摘し、より良い未来に繋がるイノベーションを生み出す環境の整備や政策を訴える2021年の本。

本書は「車輪は何千年も前に発明されたのに、どうしてスーツケースにキャスターがついたのはごく最近なのか」という疑問からはじまる。この問題はロバート・シラー『ナラティブ経済学』やナシーム・ニコラス・タレブ『反脆弱性』など多数の本で紹介されているが、これまで「あとから見れば自明な『気づき』の難しさ」の例として論じられてきたこの例を、著者はジェンダーの視点から分析する。もともと娯楽としての旅行は特権階級のものでありスーツケースは使用人に運ばせていたが、旅行が一般化するにつれ重いスーツケースを運ぶことが男性の甲斐性とされ、楽に運べるようにキャスターを付ける試みは何度もあったのに「女々しい」と見なされて普及しなかった。キャスター付きのスーツケースが売られるようになったのは女性だけによる旅行が可能になってからで、はじめはスーツケースを持ち上げる力のない女性向けの商品として売られていた。

こうした問題はスーツケースだけでなく、ほぼ同時期に開発され一時は安全性や利便の点で有利にあった電気自動車が普及せず、「男らしい」危険な作業を必要とした力強いガソリン車が普及した(イーロン・マスクによって電気自動車が「男らしい」イメージを勝ち取るまで一世紀かかった)ことや、宇宙飛行士のための宇宙服を作るのに女性のストッキングを縫う女性労働者の熟練の技術を採用するのに抵抗があったことなど、いくつも同様の例が挙げられている。

宇宙服の例は、女性労働者たちが蓄積した技術が「技術」とはみなされず、誰でもできる単純作業として下に見られ、安く買い叩かれる例の一つでもある。かつて機械式のコンピュータが生まれる前、紙と鉛筆で膨大な計算を行っていた職種としての「コンピュータ」は女性であり、それが機械に置き換わる際、車の性能を「馬力」で表すのと同じように「一人の女性コンピュータが一年で行う計算量」を「ガールイヤー」で表現していた(あるいは一人の女性が1000時間で行える計算は「キロガール」と呼ばれていた)歴史も、彼女たちの労働に対する低い評価を示している。もともとコンピュータやプログラマは女性の職業だったのに、男性のもととされるにつれて評価や給料が上がり、特別な才能や技術のある人たちの仕事とみなされていった。

また、人工知能や気候変動に関するさまざまな論争にもジェンダーが関係している。人工知能の開発においてかつて最も難しいとされていた男性的な作業、たとえばチェスでグランドマスターに勝利するムーブを決めることは簡単なのに、不安定なテーブルに置かれたチェス盤を倒さずに駒を動かすことはいまだに機械には難しい。同様に、女性化された家事労働・ケア労働などは労働者たちに蓄積された、アルゴリズムで説明できない身体化された知識や技術に基づいているため、今後も人工知能やロボットで代替することは難しい。

気候変動に関する科学や政策的対処に反対する人たちは同時にジェンダーやセクシュアリティの問題で保守的な考えの持ち主が多く、グレタ・トゥーンベリさんら若い女性を中心とする気候変動活動家たちに向けられる嫌悪感は彼女たちの考えや主張への反発というだけでは説明がつかない。アメリカの保守政治においては国内のごく少ない「男らしい」炭鉱労働者たちの職を守ることがフェティッシュのように扱われ、環境保護がそのコストがどうこう以前に「女々しい」イメージを負わされ否定される。女性的なイメージを負わされているが今後ますます重要性を増していくケア労働やグリーン産業の分野で働く労働者たちの待遇をどう改善していくかは政治的な選択であって、技術の問題ではない。

追記:邦訳「なぜスーツケースにキャスターがつくまで5000年も要したのか?: イノベーションとジェンダー」2023年8月刊