Kat Timpf著「You Can’t Joke About That: Why Everything Is Funny, Nothing Is Sacred, and We’re All in This Together」
このところ有名な白人女性コメディアンによる著作が立て続けに出版されたので読み比べてみたうちの一冊目。著者はFOX Newsの政治コメディ番組でレギュラーを持つコメディアンで、言論の自由絶対主義を標榜するリバタリアン。
著者は母親の死のショックや自身の闘病生活といった辛かった時期をユーモアを通して乗り切った過去を語り、コメディの世界にタブーはない、むしろホロコーストや人種差別のような難しい問題こそユーモアを使って議論を進めるべきだ、と持論を展開する。また、実際に表現してみないと聴衆にどう伝わるかは分からないのがコメディであり、あらかじめ差別的だとか侮辱的だとか区別することはできない、もちろん意図的に差別や暴力を扇動するようなジョークは良くないが、結果的にそうなってしまうことを恐れてコメディアンが特定のテーマを避けるようになってはいけない、と主張。愚者として自由な言動を許されていた(とされる)宮廷道化師のように、社会はコメディアンの表現の自由を最大限尊重すべきだ、とする。
たとえば切断され血まみれになったトランプ大統領の頭部を手に持つようなパフォーマンスが非難された女性コメディアンのキャシー・グリフィン氏について、人々が怒るのは分かるが彼女が大統領への危害を予告したとして捜査しろというのは言いすぎだ、と擁護するなど、著者は党派性とは関係なくあらゆる形のキャンセルカルチャーに反対する姿勢を見せているが、政治家や影響力のある政治コメンテータが刑事事件として捜査を要求することと一般人がツイッターで批判することの区別が付けられていない。一般の人たちにコメディアンをキャンセルするつもりがなくても、ツイッターのような公の場で誰々が差別的だと書けば炎上して相手のキャリアに影響があるのは分かりきっている、として、反差別の声をあげることそのものを否定。
また著者は、言葉は行為とは異なるとして、差別的な発言を暴力的な表現行為として扱うことを批判するが、「物理的な危害かどうか」だけを判断基準に両者を二分しており、個別の表現行為がどれだけ深刻でどのような被害を起こすかという分析を欠いている。てゆーか差別的な表現を「暴力とは異なる」として擁護するいっぽう、それに対する言語による批判を「キャンセルカルチャー」として否定するのは言論の自由絶対主義者の割には一貫性に欠けている。
とはいえ著者はMatt Sienkiewicz & Nick Marx著「That’s Not Funny: How the Right Makes Comedy Work for Them」で詳しく論じられている保守系コメディ文化の主要人物の一人であり、知っておくべき。