Judith Heumann & Kristen Joiner著「Being Heumann: The Unrepentant Memoir of a Disability Rights Activist」

Being Heumann

Judith Heumann & Kristen Joiner著「Being Heumann: The Unrepentant Memoir of a Disability Rights Activist

米国の障害者運動のパイオニアとして知られる著者(Heumann)の自叙伝。日本語版は「わたしが人間であるために: 障害者の公民権運動を闘った『私たち』の物語」。ナチスが台頭するドイツから米国に逃れることができたユダヤ系の両親のもと戦後すぐ生まれ、ポリオの後遺症で身体に大きな障害を負う。幼いころは車椅子を押してもらいつつ近所の子どもと一緒に遊んでいたけれども、学校は彼女がいると火事の際に車椅子が邪魔になりほかの子どもたちが避難できなくなるからと彼女の入学を拒否。教育に熱心でなおかつホロコーストで多くの親族を失った経験から人権活動家になっていた両親のおかげで高校・大学は通えたけれども、教師になろうと必要な条件を全て満たしたけれどもニューヨーク市教育委員会は「医学的な理由」を口実に彼女に教員免許を与えなかった。彼女は裁判で教育委員会と争い、公民権運動で活躍した過去のある米国史上初の黒人女性連邦判事Constance Baker Motleyが担当するという強運もあり教育免許を取得。(ちなみにこの判事については2022年1月に「Civil Rights Queen: Constance Baker Motley and the Struggle for Equality」という本が出ており、バイデン大統領がKetanji Brown Jacksonを史上初の黒人女性最高裁判事に指名したこともあり話題。わたしも近いうちに読む予定。)

彼女はそこから障害者運動のリーダーへの道をたどり、連邦上院議員の事務所やバークレーで発足したばかりの自立生活センターなどで働くなか、1977年には100人以上の障害者運動家やその支持者らとともにサンフランシスコで連邦健康教育福祉省に立てこもり。既に連邦法で決まったはずの「連邦政府の資金を受けている組織では障害者差別をしてはならない」という法律を実際に施行するための具体的な規則を健康教育福祉省がいつまでたっても策定しないことに抗議してのもので、介護が必要な人たちが多く参加し、政府が新たな介護者の参加や食料の搬入を阻止して兵糧攻めにしているなか、さまざまな人たちの支援を受けて勝利をもぎ取った。てゆーか食料の搬入を阻止しようとする警備員を振り切って大量の食料を届けに毎日突入を繰り返したブラックパンサー党のメンバーたち、カッコよすぎ。

その後も彼女はクリントン政権、世界銀行、オバマ政権などで障害児教育と障害者の権利のために仕事を続けるけれども、トランプ政権になって障害者の権利を守るためのさまざまな規制が撤廃された、いまの人たちにとっては障害者が学校に通えたりいろいろな施設を利用できるのが当然と感じるかもしれないけれど、それは自分たちが勝ち取ってきたもので、今後の世代のためにもそれらが再び奪われないようにしよう、という呼びかけで終わる(この本が出版されたのは2020年)。彼女自身は「これは自分の功績ではない、自分を含む多くの人たちの努力の結果だ」と言うけれども、アメリカの人権運動における重大人物の一人。日本語版も出ているので、ペーパーバック版の表紙にシェリル・サンドバーグとヒラリー・クリントンの推薦コメントがあるけど、それは無視してみんな読んで。