Jeffrey S. Adler著「Bluecoated Terror: Jim Crow New Orleans and the Roots of Modern Police Brutality」
ニューオーリンズを中心に、20世紀前半の南部における白人至上主義の暴力の歴史を振り返りつつ、現代アメリカで問題となっている警察による黒人への暴力と民間の白人による非公式な暴力の密接な関係を明かす本。
19世紀終わりから20世紀はじめまでは白人至上主義の擁護を目的とした暴力が白人市民と警察の双方によってふるわれ、それらの傾向には暴力の主体によってとくに違いがなかった。そこでターゲットとされたのは、白人女性を「見た」黒人男性だったり、政治に参加しようとしたり経済的に成功しかけていた黒人が多く、白人に口答えした、あるいは白人の言いつけを無視した、という些細な理由で暴行されたり殺されたりする人も少なくなかった。
しかし次第に正面から「黒人に自分の立場を思い知らせる」という目的を掲げるのは避けられるようになり、それにかわって「生まれつき暴力的で道徳に欠けている危険な黒人の犯罪を抑止するため」という別の目的にすり替えられていく。当時、白人の市民に対する警察の拷問や強引な取り調べが問題視されるようになったけれど、黒人に対してはそれらは必要な手法だとされ続けたため、多数の黒人たちが身に覚えのない罪を着せられて処罰を受けた。ニューオーリンズやメンフィスなど南部の都市の警察によって培われたそうした手法は、自由と仕事を求めて多くの黒人が北部や西部に移動をはじめると、それらの都市にも広まっていった。現代アメリカでは「白人至上主義の維持」という警察による暴力の当初の目的は少なくとも表立っては掲げられていないが、犯罪取り締まりという口実のもと黒人市民の安全と権利を奪い続けている。
それにしても、白人至上主義の暴力を精力的に報じてきた北部の黒人新聞の記事などからこれでもかと黒人に対する暴力がつぎつぎ引用されていくのには、読んでいるだけでさすがにうんざりするけど、当時の南部の新聞が同じ事件をどのように報じていたかという比較を読むと、黒人新聞がどれだけ重要だったのかよく分かる。当時の黒人ジャーナリストたちめっちゃかっこいい。