Howard Markel著「The Kelloggs: The Battling Brothers of Battle Creek」

The Kelloggs

Howard Markel著「The Kelloggs: The Battling Brothers of Battle Creek

おかんが名前を思い出せない朝ごはんことコーンフレークを生み出したケロッグ兄弟についての本。子どものころから天才と褒められ当時としては最先端の科学的医学を学んだ兄のジョン・ケロッグ医師と、極度の近眼であることに気づいてもらえず読み書きも学べない出来損ないと家族からも見放された弟ウィル。ジョンはアドヴェンティスト教会の支援を受けて大々的な医療機関を設立し、ウィルをアシスタントとして雇うものの、子どものころから続くウィルに対するいじめやぞんざいな扱いはウィルが独立するまで25年のあいだも続いた。その後兄弟は「ケロッグ」の商標をめぐり何度も裁判で争い、晩年にはジョンは経営に失敗し生涯をかけて築いてきた病院を手放す一方、ウィルは斬新な経営や広報の手法を取り入れた運営でコーンフレークの会社を急成長させ、アメリカ有数の成功者として生涯を終える。この壮絶な兄弟の関係がこの本の縦軸。

当時の医学は、瀉血(血を排出することで不要物を取り除く医療)や水銀の処方など非科学的な療法が多く採用されていたけれども、ジョンは適切な食生活と運動や生活慣習により病気を予防したり克服したりすることができると主張し、設立した医療機関ではほかの医療行為とともにそうした生活指導を行った。これはかれのアドヴェンティストとしての宗教的信念とも合致しており、自ら菜食主義や性に対する禁欲主義を実践するとともに患者にも推奨していた。この一環としてジョンは入院中の患者に対する適切な食事の研究にも没頭し、ウィルの協力のもと、ピーナッツバターや穀物を原料とするフレークを開発することになった。当時多くの家庭では、オーツ麦を長時間煮込んだものや、貯蔵目的に塩漬けにされた肉が朝食には多く食べられており、調理に時間がかかったり栄養が偏ったりしていたが、穀物をフレークに加工することで牛乳をかけてすぐに食べられるようになった。

ケロッグ兄弟が開発した(当時は小麦)フレークは人気を博したが、ジョンは商業化に抵抗し、退院した患者に向けた通信販売以外では製品を売り出そうとはしなかった。またジョンはフレークを健康食品と考えていたので、砂糖を加えるなど味を追求することはしなかった。そのあいだにも他の起業家たちがフレークのレシピを盗んだり真似するなどして次々と会社を設立し(この中には現在もケロッグと競合しているポスト社などもある)、ケロッグ兄弟の発明に便乗して利益をあげていたが、商業化を主張するウィルをジョンは相手にしないばかりか、味を良くするためのウィルの工夫はジョンに全面否定される。最終的に、病院の経営が危うくなったタイミングでウィルはフレークの権利の買い取りを申し出、ジョンからの独立を果たす。

ところがウィルが「ケロッグ」の名前でコーンフレークを売り出し、当時としては画期的な宣伝手法などによって大成功すると、ジョンはケロッグ社の成功は自分の医師としての名声に便乗していると激怒、自身も「ケロッグ」の名前を冠した会社を設立し別のシリアルを、わざわざウィルの会社とそっくりな箱に入れて売り出した。当然、スーパーや消費者は混乱し、ジョンの味気ない商品がウィルの商品と混同されることに寄ってウィルの商品の評判にも悪影響がある始末。ここから兄弟のあいだでなんどもの裁判が争われ、最終的にケロッグのブランド価値はジョンの医師としての名声ではなくウィルの広報戦略によるものだという判決が確定した。おかげでわたしたちはいま美味しいケロッグのコーンフレークが食べられるわけだ。

インタビューによると著者はもともとジョン・ケロッグの伝記を書こうとしていたそうで、実際かれはウィルのイヤな兄というだけでなく、とてもおもしろい人物。ジョンが設立した医療機関には全国から多数の政治家や有名人を含め何百人もの患者が常に滞在し、敷地内で生産された農作物がジョンの考えに基づいた健康食品として食事に出された。病院があったミシガン州バトルクリークはアドヴェンティスト教会の本拠地でアドヴェンティスト教会で預言者とされた女性が住んでおり、ジョンは彼女を含む教会指導者らと対立して破門されるのだけれどそのあたりの歴史や、かれが米国史で「革新主義時代」とされる時代にどのように立ち回ったかなど、興味深い。晩年、ウィルがケロッグ社で培った財産を「子どもの健康と教育」を目的とするケロッグ財団につぎ込む一方(現在ケロッグ財団は米国で7番目に大きい財団)、ジョンは残念ながら当時は科学的で先進的とされた優生主義にのめり込み、経済学者のアーヴィン・フィッシャーらとともにアメリカにおける優生主義のリーダーの一人となってしまった。とはいえ生活慣習への注目や禁煙主義、菜食主義などジョンがさまざまな面で時代を先取りしていたことは確か。いずれにせよ、兄弟の関係とともに、かれらが活躍した時代背景もよく分かる本だった。