Hil Malatino著「Queer Embodiment: Monstrosity, Medical Violence, and Intersex Experience」

Queer Embodiment

Hil Malatino著「Queer Embodiment: Monstrosity, Medical Violence, and Intersex Experience

部分的アンドロジェン不応症(PAIS)の診断を受けたがエストロジェンの処方を拒否した過去のある著者が、インターセックス(性分化疾患)やトランスジェンダーの医学史的なアーカイヴから当事者たちの声に耳を傾け、ミシェル・フーコーがエルキュリーヌ・バルバンの手記を紹介しつつ提唱しスーザン・ストライカーがさらに理論化した「怪物性」の共同体的な再定義を提唱する本。

フーコー、ドゥルーズ&ガタリ、ハラウェイ、バトラー、ストライカーあたりを引用しつつインターセックスやトランスジェンダーの医療の歴史を解釈していくあたりはごくありふれたクィア理論の議論なんだけれど、そのフーコーが有名にしたエルキュリーヌ・バルバンの手記や、ジョン・マネーの被験者だった患者たちの記録を当事者目線で読み解き、そこから当事者の声を掘り起こしていくのが本書の醍醐味。著者は女の子として育てられたが第二次性徴や初潮が来ないことから医者の検査を受け、部分的アンドロジェン不応症の診断を受けた。医者からは女性ホルモンと呼ばれるエストロジェンの処方を受けたが、体に起きつつある変化を望まなかった著者は服用を停止、医者による性器の診察も拒否したが、のちに取り寄せたカルテは「身体的な変化に満足している」という記述が最後になっていた。資料をそのまま読むだけでは当事者の本当に何を感じていたのかは分からないが、医者が残した記録のギャップや非協力的な患者に対する文句から当事者の抵抗を読み込んでいく。

実はずっと以前にわたしは2019年出版のこの本を入手していたのだけど、著者がインターセックス当事者であることを知らず、クィア理論における怪物性の議論って擦られすぎてうんざりしていたこともあり放置してきた。先日著者と会う機会があり、予習として最新刊である「Side Affects: On Being Trans and Feeling Bad」を読んでおいたのだけど、「Side Affects読んだよ!」と著者に伝えるとなぜかなんだかがっかりしたような表情をしていたのは、「Queer Embodiment」で著者がわたしの記事を引用しているのになんで引用していない方を読んでんだよ、って意味だったのかと今わかった。ごめんなさいヒルさん。

あと笑ったのは、著者が親にエストロジェン服用の停止を説明するために、自分はベジタリアンだから、という説明をしたこと。当時はまだ人工的に合成されたエストロジェンが発売されておらず、妊娠した(pregnant)雌馬の(mare)尿から(urin)精製されたエストロジェン剤プレマリン(premarin)が処方されていたので、動物由来のプレマリンを拒否する理由として理論武装に利用したのだけど、なにそれかわいい。てかプレマリンの名前考えたやつ、このよくわからん表紙をデザインしたやつと一緒に表に出てこい。