Evan Lieberman著「Until We Have Won Our Liberty: South Africa After Apartheid」

Until We Have Won Our Liberty

Evan Lieberman著「Until We Have Won Our Liberty: South Africa After Apartheid

アパルトヘイト廃止後の南アフリカ共和国の政治についての本。著者はアメリカの白人政治学者だけれど、大学院生だった頃にネルソン・マンデラが釈放され南アフリカが民主化されたのを目の辺りにして以来、数十年に渡って南アフリカの政治的展開を追っている人。アパルトヘイト後の南アフリカでは貧困や経済格差は解消されず政府は腐敗し政府は国民の期待に応えることに失敗した、という政治評論家やほかの研究者の主張に対してこの本の著者は、確かに問題は残っているが状況を鑑みれば南アフリカの民主主義はうまくやっており、希望は失われていない、という立場。

わたしは南アフリカについてそれほど知っているわけではないので、そんなに先進国の評論家や研究者たちが南アフリカの民主主義に対して否定的なことを言っているんだという認識がそもそもなかったのだけれど、マンデラのあとに大統領となったムベキ大統領がHIV懐疑論や陰謀論を主張してHIV/AIDS対策を怠ったために多くの人が感染し早い死を迎えてしまったことや、その次のズマ大統領が国家予算の横領や軍備にまつわる収賄など多数の汚職事件で告発されていることなど、悪いニュースが騒がれていたのはいちおー認識していた。たしかにそういうニュースだけに注目すれば、南アフリカの民主化はマンデラの高潔な意思を引き継ぐことに失敗し混乱を巻き起こしたようにも見える。

しかし一方で著者は、南アフリカの黒人たちが経験している貧困は白人政権時代の政策が生み出したもので、十分ではないものの人々の生活は向上しているとして、政府による無償の住居提供や教育や医療への投資、電気や上下水道の普及などさまざまなデータを提示して、南アフリカの貧困解消が同程度の経済を抱えるほかの国に比べて決して遅れているものではないことを指摘する。また、代行として短期間だけ大統領になった人たちを除いても、マンデラが1期、ムベキとズマが2期だけで大統領を退任していることや、ズマの不正がメディアや検察によってきちんと追求されていること、与党アフリカ国民会議が常に議席の過半数を維持していても比例制によってさまざまな民族や考えの人たちの意見が政治に反映されていること、与党が少数派の政治参加を妨げるような制度改正をしていないこと、ムベキ時代のHIV政策の失敗を糧にコロナ危機、とくに初期の「南アフリカ株」やオミクロン株についてのデータを世界と共有し迅速な対応をしたこと、など南アフリカの民主主義がほかの新興民主国家と比べてむしろ安定性と包括性の点で優れていることを指摘する。

アパルトヘイトの時代、人口では少数派の白人が全ての権力を握り、黒人たちはバントゥースタンと呼ばれた価値の低い狭い土地に押し込んでそこの「国民」だという体でかれらから南アフリカ共和国の国籍を奪った。同じように少数民族が権力を握り多数民族を支配する構図は欧米による植民地主義の一つの手法としてさまざまな場所で見られるけれど、その体制が崩れたときイラクやルワンダなど深刻な内戦や紛争に繋がることは少なくない。南アフリカがそのような混沌に陥るのでは、という憶測はあったし、だからこそ白人のなかでも資産やコネがある人はアメリカやイギリスなど海外に脱出したのだけれど、実際には大規模な民族対立は起きていない。アメリカの右派メディアは「南アフリカでは黒人たちが白人農場主を殺して土地を奪う事件が多発している」と宣伝していて、トランプもツイッターでそれを拡散していたけれど、実際の事件は少なく、どの国でもあるような富裕層を狙った強盗の一種でしかない。

にもかかわらず欧米の右翼が「南アフリカで白人が迫害されている」というデマをさかんに宣伝するのは、著者が反論しているように多くの評論家や研究者がアパルトヘイト以降の南アフリカをことさら低く評価することと繋がっているような気がする。白人によって運営されていた国家を黒人(が多数を占める全ての国民)に明け渡すことで、きっと暴力的な復讐が起きるだろう、きっと白人のようにはうまく国家を運営できないだろう、きっと全人種共存の夢が失敗して南アフリカは崩壊するだろう、という人種的偏見に基づく予断が見え隠れする。その一方で、南アフリカが成功したと言えるためにはかつて白人の特権層が享受していた高度な生活水準を国民全員に行き渡らせなければいけない、という、ほかのどの国より高いレベルの成功を求められている。その基準で成功したと言えるのはおそらく北欧の一部の国だけで、民主主義の脆弱さや経済格差や人種対立の深刻さで言えばアメリカだってその基準を満たしてはいない。やたら低い予断とやたら高い条件の背景は、黒人を主体とする南アフリカが国家として成功するわけがない、成功したと認めてやるものか、という意思がありそう。

この本でおもしろいと思ったのは、初の全人種による選挙で大統領に立候補したマンデラが、反アパルトヘイトの闘士としての自分の立場を誇るのではなく、住居の提供や電気や上下水道の設備などふつうに人々の生活に直結する話をしていた、ということ。南アフリカではいまでも反政府デモがよく起きるけれど、それらも停電やゴミ収集が遅れることへの地方自治体への抗議など、身近な生活に関係したものが多いという。アパルトヘイト撤廃以降の南アフリカでは政府はたしかに人々の生活を向上させてきたけれども、まだそれが行き届いていない人も多くいて、かれらは「ほかの人は恩恵を受けたのに自分たちだけなぜ」と反感を募らせる。でもこの本を読むかぎり、わたしがよく知るアメリカ政府よりはよほど国民の生活を向上させようという意思を南アフリカ政府に感じるし、政治の面でも二大政党による不毛な対立が繰り返されるアメリカに比べて、南アフリカのほうがアフリカ国民会議による一強政治というわけではなく比例制のもとで五大政党がそれぞれ国民の支持を求めて争っているようで、とても参考になると思った。