Bruce Henderson著「Bridge to the Sun: The Secret Role of the Japanese Americans Who Fought in the Pacific in World War II」

Bridge to the Sun

Bruce Henderson著「Bridge to the Sun: The Secret Role of the Japanese Americans Who Fought in the Pacific in World War II

第2次世界大戦中、太平洋戦線で日本との戦いに従軍した日系アメリカ人たちについての本。人種差別的な強制収容政策によって財産も自由も失った家族を収容所に残して米軍に入隊した日系人といえば、ヨーロッパ戦線で勇敢に戦い多数の犠牲者を出した第442連隊戦闘団や第100歩兵大隊などがよく知られているが、太平洋で闘った日系人たちはほとんど認知されていない。

その理由としては、日本軍の通信や文書の翻訳や捕虜にした日本兵の尋問など情報関係の任務に関わったために箝口令が敷かれていたり、任務自体が機密扱いされていたこととともに、自分たちの両親の祖国との戦いに参加したかれらの存在がヨーロッパを解放した英雄的な部隊と比べると戦後の日系人社会でタブーにされてしまった面もある。わたし自身、以前「慰安婦」問題の調査をするなかで、米軍の捕虜となった20人の朝鮮人「慰安婦」の尋問に関わったビルマ戦線のロイ・マツモトやグラント・ヒラバヤシら日系人米軍人について知ったのだけれど、この本ではかれらに加え多数のほかの日系人たちのストーリーも知ることができてとても良かった。

本書は時系列に沿って戦争の勃発から日系人排斥、強制収容政策から軍が日本語の通信や文書を翻訳できる人材を求めて「適性民族」とみなした日系人たちをリクルートするようになった経緯、そしてソロモン諸島からアリューシャン列島(アッツ・キスカ)、ビルマのジャングル、ニューギニア、フィリピン、硫黄島、沖縄を転々と従軍した日系人たちの経験が書かれているとともに、登場した日系人たちがその後どう生きたかも最後に触れられている。

一般の日系人の多くは日本語を話せなかったので、日本語の翻訳者・通訳としての役割を求められた人たちの多くは、アメリカ生まれながら親の方針か本人の希望により日本で教育を受けたのちアメリカに帰国した「帰米者」たちだった。それはすなわち、かれらはそれぞれ日本で少なくない時間を過ごし、日本に多くの親戚や友人を持つ人たちだった。また同じ帰米者のなかにも、たまたま運悪く真珠湾攻撃の時点で日本にいたために、アメリカ国籍であるにも関わらず日本軍に徴兵された人たちもいた。

たとえば家族とともに子ども時代を広島で過ごしたロイ・マツモトは、ビルマでは日本軍支配地に入り込んで情報収集するという危険なミッションを遂行し、日本兵らの会話から日本軍の作戦を察知するなどした。広島に原爆が投下されて街がまるごと焼き払われたことを知ったのは中国で日本軍と交戦中で、広島にいた親戚は全て失ったと思ったけれども、戦争終了後の上海で日本人捕虜の尋問するなかたまたま捕虜の一人として出会った従兄弟に、広島の親戚は食料を求めて少し離れた地域に移り住んでおり無事だったことを知る。また数日後には、捕虜のリストに一番下の弟の名前を発見、面会する。弟はほかの兄弟の何人かもアメリカ国籍であるにも関わらず日本軍に徴兵されたことを説明、徴兵しておきながらアメリカ国籍があるから信用できないと軍内では酷い扱いを受け、昇進の機会も与えられなかったと告げられた。

マツモトとともにビルマで活動したグラント・ヒラバヤシはシアトル近郊生まれだったけれども日本に行きたいと希望して親戚のいる長野県穂高市と松本市で学校に通ったあと、帰国して米軍に入隊。ミッチーナで米軍の捕虜となった20人の朝鮮人「慰安婦」たちを尋問したのはヒラバヤシで、彼女たちと撮った写真が残っているほか、いくつかのインタビューでそのときの状況について語っている。また戦場でも、日本軍の部隊に近づいて「突撃!」と叫んで飛び出させて包囲している米軍の標的にするなど、日本語を使った作戦を実行する。

かれの兄弟のゴードン・ヒラバヤシは日本には行かずワシントン大学に進学したが在学中に日本人強制収容政策が開始。強制収容政策は憲法違反だという信念に従ってほかの日系人が連れ去られた翌日に弁護士とともに警察に出頭し逮捕され有罪判決を受けたが、戦後判決は覆され人権活動家として有名に。かれが政府の命令に従わないことを悪く言う日系人もいたけれど、兄弟の親のもとには「わたしたちの権利のために闘ってくれてありがとう」という声もあった。軍人として自国の勝利のために戦ったグラントと、自国の過ちを正すために法廷で戦ったゴードンは、お互いが自分の信念に基づいて自分の国であるアメリカを守るために戦っていると尊敬しあっていたという。

ハワイ出身で沖縄の親戚とともに少年時代を過ごしたタケジロー・ヒガの話はとくに重い。日英翻訳や通訳が出来る日系米国人兵士のなかでも琉球語が話せるのはヒガだけだったので、かれの言語力は沖縄戦でとくに重宝された。しかし沖縄戦といえば日米双方の軍隊に多大な被害が出たばかりか、米軍の捕虜になるとひどいことをされると言い聞かされた民間人が多数自決させられたとくに悲惨な戦場。ヒガは洞窟の中に隠れている民間人たちに琉球語で「自分は比嘉竹次郎というハワイ生まれのウチナーンチュであり米軍に所属している、どうかわたしを信じて出てきて欲しい」と呼びかけて結果として多くの命を救ったが、米軍にもっと多くのウチナーンチュがいて同じように呼びかけることができたらどれだけ多くの民間人を救うことができたか、と悩まされた。

自分の両親の祖国と直接戦っただけでなく、自分の兄弟や学友と戦わさせられたり、自分が子ども時代を過ごした土地で戦ったりその破壊に加担しなければならなかった太平洋戦線の日系米国人兵士たちの話は読んでいて辛いし、戦争というものが本当にイヤになる。いまウクライナの東部や南部で戦っている人たちにも同じ状況に置かれた人が大勢いるだろうし、ほかの多くの戦場でも似たような悲劇はおきているのだろうと思う。日系人社会にとっても、勇敢に邪悪な敵(ナチス)と戦い自由を勝ち取った第442連隊戦闘団の輝かしい栄光を誇るだけでなく、苦しい思いをしながら日本軍と戦った太平洋戦線の日系人たちのことを記憶していくことは大切。

ところでこの本、日本でも出版されるよね?「慰安婦」タブーで出版されない、なんてことないよね?