Briana Scurry著「My Greatest Save: The Brave, Barrier-Breaking Journey of a World Champion Goalkeeper」
女子サッカーアメリカ代表としてオリンピック優勝二度、ワールドカップ優勝一度などの成績を残した世界最強チームの元正ゴールキーパーの黒人レズビアン、ブリアナ・スカリーの回顧録。女子サッカーアメリカ代表選手の本としてはMegan Rapinoe著「One Life」やAbby Wambach著「Wolfpack: How to Come Together, Unleash Our Power, and Change the Game」も読んできたけれども、著者は彼女たちより前の世代の選手であり(ウォムバックとは一緒にプレーしたこともあるけど)、サッカーが白人のものとされているアメリカでは数少ない黒人、しかもアメリカ代表で初のレズビアンであることを公言していたトップ選手であり、チーム内の確執や負傷による引退後のどん底生活についても赤裸々に語った凄まじい本。
ミネアポリスの貧しい黒人家庭に育った著者は、両親に支えられ幼いころからスポーツの才能を発揮。さまざまなスポーツでそれぞれ評価され、アメリカではサッカーより人気の高いバスケットボールの選手としても注目されるものの、身長がそれほど高くないことからサッカー選手として奨学金を得て進学。いまもそうだけれど当時のアメリカではサッカーは郊外の白人家庭の子どもがするスポーツというイメージが強く、彼女は「黒人なのになんでサッカーをやっているのか」と聞かれたり、敵チームの選手やファンに差別的な言葉を投げかけられたりする。ゴールキーパーになったのはたまたまサッカーを始めたころのコーチに進められたけれども、自分ひとりが頑張ってゴールを守れば勝ちはしなくとも負けることはないという責任感が彼女を成長させた。
大学での活躍によってアメリカ代表候補のキャンプに呼ばれた彼女は、彼女以外の選手たち(白人)はもっと若いうちから年齢別のアメリカ代表もしくはその候補としてそうしたキャンプに呼ばれて経験を積んできたということを知る。しかし彼女は自分がサッカー選手として過度に注目されなかったおかげでほかのさまざまなスポーツに挑戦することもできてむしろ良かったとポジティヴに考える。有力な選手は若いうちから囲い込まれてほかのスポーツや趣味を試す機会を失う傾向は、当時よりいまのほうがずっと強まってしまっている。そして彼女は同世代の才能ある選手たちのなかでも目立つ活躍をし、FIFAが史上はじめて「ワールドカップ」という名称を女子の大会に採用した1995年ワールドカップ、史上はじめて女子サッカーが正式な競技となった1996年アトランタオリンピック、初優勝を果たした1999年ワールドカップなどに正ゴールキーパーとして参加、世界一のゴールキーパーの名を欲しいままにする。
女子サッカーアメリカ代表チームの強さが世間の注目を浴び、チームメイトであるミア・ハム(当時の世界最高のストライカー)やブランディ・チャステイン(1999年ワールドカップ決勝のPK合戦で決勝のゴールを決めてユニフォームを脱ぎスポーツブラでガッツポーズをしたシーンが有名)ほどではないものの著者はテレビに多数出演、さまざまなイベントに呼ばれたが、その一方でトレーニングを減らし、体調管理にも失敗して一度は正ゴールキーパーの座を後輩のホープ・ソロに奪われることに。引退も考えたものの自分はまだやれると思い直し、必死の思いで特訓しポジションを取り戻したが、そのことがチーム内にブリアナ・スカリー派とホープ・ソロ派の対立を生み出してしまう。父親を失い精神的に苦しんでいた著者が重要な試合でミスを連発すると、ソロは報道陣に向かって彼女を公然と批判、自分なら点は与えていなかったと発言し、チーム内の対立が公になってしまう。その時点ではチーム内でもサッカー協会でも著者に同情する人が多く、ソロは一時的に代表チームのキャンプから追い出されるも、新しい監督が就任するとより若いソロに正ゴールキーパーの背番号1番が与えられる。
著者は代表チームを離れ、新しく発足したプロリーグに参加するも、2010年に試合中のアクシデントで脳震盪を起こし、その後遺症により引退する。その後、激しい頭痛や記憶力の低下に苦しみ、真っ直ぐ歩くことすら難しくなった彼女は労災として保険の保障を受けようとするも、リーグ側の弁護士側が雇った医者は彼女の脳は正常だと主張、それが無理になるとこんどは彼女の障害はリーグの試合ではなく過去にほかの試合で怪我した結果だとして、保障金の支払いを拒否したり、なにも伝えないまま遅らせたりした。彼女は収入を失い生活に苦労するなか、かつてアメリカ代表として100試合目に出場した際にもらった記念品のロレックスの時計や、オリンピック優勝でもらった2つの金メダルを質に入れて生活費を捻出する。また、何度も自殺を考え、滝の前で立ち尽くしたことも。
そうしたどん底にあるとき、友人から広報のプロを紹介され、彼女の助けでリーグの仕打ちをメディアに流して公開した結果、リーグ側の弁護士は態度を一変させ、医療費や生活費を受け取れることに。また必要な手術を受けることができ、それにより後遺症はかなり改善した。彼女が今度講演などをするときに必要になるからと、借金を返せず金メダルを永遠に失いかけていた彼女にお金を渡しすぐに質屋から取り戻させたのもこの広報専門家。彼女をどん底から救ったその女性が、いま現在の彼女の配偶者。写真を見ても幸せそう。
この本は彼女の栄光だけでなくチーム内の対立やリーグのひどい扱いによって彼女が経験した苦しみが描かれており、とても驚くとともに、そこまで書いた彼女の勇気に感動した。彼女は黒人女性として、レズビアンとして常に堂々とプレーし、またその後の人生でも堂々と生きることで、あとに続く多くの人たちを強烈に勇気づけている。
また、彼女が当時のパートナーと一緒にサンフランシスコのカストロに引っ越して楽しく生活した話や、西海岸のレズビアンコミュニティで毎年行われている(コロナまでは)草サッカートーナメントにパートナーに誘われて一選手として参加した話(どこのレズビアンか知らないけど、アメリカ代表選手にレッドカード級の無茶なタックルを仕掛けて足を負傷させている)など、読んでいて思わず微笑んでしまう話も。あと、著者はわたしも好きなクィアな下着ブランドTomboyXのモデルをやったことがあるのだけれど、その創業者の一人ナオミさんは著者の元カノだったというのは知らなかった(もう一人はナオミさんの現パートナーのフランさん。わたし会ったことある)。女子サッカーとTomboyXの両方のファンなのに知らなかったなんてめっちゃ不覚だわ。