Ben Mattlin著「Disability Pride: Dispatches from a Post-ADA World」

Disability Pride

Ben Mattlin著「Disability Pride: Dispatches from a Post-ADA World

脊髄性筋萎縮症を持って生まれ、学生時代には障害者運動に関わっていたが、その後障害者問題からは離れた場でジャーナリストとして活動してきた著者が、60歳になってふたたび障害者運動の現在について調べて書いた本。1977年のサンフランシスコ連邦健康教育福祉省立て籠もり運動から1990年の障害を持つアメリカ人法(ADA)を経て障害のあるソーシャルメディアインフルエンサーや役者、政治家たちの活躍、そしてニューロダイバーシティ運動ディスアビリティ・ジャスティスの動きまで、アメリカの障害者運動の歴史と現在を広くカバーしている。

わたし個人にとってはよく知っている内容が多く、新しく知ったのはせいぜい障害のある役者がメインの役を演じるドラマや映画の話だったのだけれど、著者がニューロダイバーシティ運動やディスアビリティ・ジャスティスの話題についてごく最近この本を書くための調査をするまでなんの知識もなく新鮮に感じた、というのが逆に新鮮。白人シスヘテロ男性で身体障害者である著者が、自分とは無関係だと思っていたオーティスティック(自閉症)の人たちによる運動に出会って驚いたり、ディスアビリティ・ジャスティスの前提となるインターセクショナリティの考えに衝撃を受ける様子が素直に書かれていて、いやいくら障害者問題とは無関係の仕事をしていたとしても、ジャーナリストとして60歳まで活動していた人がインターセクショナリティを知らなかったなんてそんなのアリかよって思ってしまった。ディスアビリティ・ジャスティスの章の最後に、「こうした考え方は(白人男性に対して)排他的に見えるかもしれないが、必要なものなのだ」と擁護していて、ああ排他的と思ってるんだこいつ、と。でも素直に新しい考えを吸収して書いているので、そんなに嫌味は感じない。

最後のほうでは、コロナ禍初期における障害者の命の軽視(多くの州が人工呼吸器を健康な若い人に優先して提供する方針を定め、普段から人工呼吸器を使っている障害者から奪って健康なコロナ患者に与えようとする動きすらあった)や家族など周囲の圧力によって医学的自殺幇助に追い込まれる障害者の問題など優生学や生命倫理に触れる問題や、長期的入院措置の問題も扱われており、そのなかで障害者運動がどのように自分たちの命と尊厳を守るために抵抗してきたか書かれている。白人男性的な視点がやや気になるけど、障害者運動の歴史を広く扱った良書ではある。

あとわたし、この本はオーディオブックで聴いたのだけれど、全国的な障害者団体ADAPTやディスアビリティ・ジャスティスの活動家・アーティストのパティ・バーンさんの名前が繰り返し間違えて(しかも不自然に)発音されていて気になった。もちろんディスアビリティ・ジャスティスの立場からは「正しい発音」という概念には批判的でありたいとは思うのだけれど、障害者運動についての本で有名な障害者団体や障害者の活動家の名前を間違えるというのはリスペクトの欠如を感じて残念だった。